Posts Tagged IGGY POP

Lou Reed 死去

月曜日, 11月 4th, 2013 | Permalink


アメリカのバンド、VELVET UNDERGROUNDの創設メンバーの一人で、ロック界を代表するミュージシャンの一人でもあったルー・リードが10/27に死去しました。享年71。
 
loureed
 
本名ルイス・アレン・リード (Lewis Allen Reed) 。
ユダヤ系の血を引いており、父の代にラビノヴィッツ (Rabinowitz) から改姓。
シラキューズ大学在学中にデルモア・シュワルツ(en:Delmore Schwarz)に師事して詩作を学ぶ。
その挑戦的ながらポップさを兼ね備えた音楽性と、
陰翳と知性に富むヴォーカル・ポエトリーリーディング、
人間の暗部を深く鋭く見つめる独特の詩世界は、
後のパンク・ロック/ニュー・ウェイヴ、オルタナティヴ・ロックに大きな影響を与えた。
ボブ・ディラン、ドアーズのジム・モリソン、パティ・スミスなどと並び、
ロック界における芸術性、ひいては文学性のイノベーションと向上に多大な影響を与えた音楽家の一人である。
(wikipediaより)

2013年現在、ロックという音楽の中にはさまざまなジャンルがあります。
ブルース、ハードロック、サイケデリック、プログレッシブロック、グラムロック、パンク、ニューウェーブ、ヘヴィメタル、ハードコア、シューゲイザー、インディー、グランジ、ミクスチャーロック、インダストリアル、ロックンロールリバイバル・・・などなど。
その各ジャンルの中にもさらに枝分かれし、あらゆるロックバンドはいずれかに分類されます。
その全てのジャンル(音楽)の中でも、
ロックの商業的、産業的、芸能的なあり方をを否定し、
アートとしての進歩性を重視した音楽を、
もう一つのロック、異質なロックという意味を含んだ、オルタナティブロックというジャンル(というよりスタンス)があります。
日本のメジャー音楽シーンには必然的にありえない音楽なので、
馴染みは薄いかもしれませんが、所謂”売れ線”だったり”ヒット”とは対極の音楽であります(勿論アメリカ、イギリスではオルタナティブロックといわれるバンドが”結果的”にヒットすることはあります)。
ルー・リードの在籍していたヴェルヴェット・アンダーグラウンドの活動はわずか4年ほどであり、商業的にヒットすることなく解散したのですが、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドというバンドの存在は、ロックの歴史において、そのオルタナティヴ・ロックを産み出したビッグ・バンと位置付けられるといわれております。

こんなありふれた陳腐な言葉でくくるのは彼には似合わないですが、
彼は音楽界において、紛れもないレジェンドなのです。

そんな彼の死を惜しむ声は僕らファンだけではなく、
それ以上にミュージシャンたちからも寄せられています。

デヴィッド・ボウイ(ルー・リードと親交の深かったイギリスを代表するミュージシャン)
「R.I.P.ルー・リード」
『彼は師だった』

イギー・ポップ(パンクの元祖。ルー・リードと親交の深かったアメリカのロックシンガー)
「衝撃的な報せだ…」

ジョン・ケイル(現代音楽家、元Velvet Underground)
「世界は優れたソングライターにして詩人を失った。ぼくは学校時代の友達を失ったよ」

リー・ラナルド/Sonic Youth(アメリカの80~90年代を代表するオルタナティブバンド)
「R.I.P.ルー・リード。替わりなんていない、かけがえのない人だ」

サブ・ポップ・レコード(グランジ/オルタナ系のレコードレーベル)
「”日曜の朝”の嘆き。あまりにも惜しい。ルー・リード」

ベック(アメリカのミュージシャン。最も創造的なオルタナアーティストの一人)
「”日曜の朝”に・・・」

ピクシーズ(アメリカのオルタナティブバンド)
「R.I.P.ルー・リード……伝説の人」

ジュリアン・カサブランカス/The Strokes(ロックンロールリバイバル世代の代表格)
「僕のやっていることすべてについて何故やっているのか、その理由がルー・リードだ」

カール・バラー/Dirty Pretty Things/元The Libertines(ロックンロールリバイバルバンド)
「さようならルー。俺が弱っているときや困っているときにあなたは力をくれた。」

ザ・フー(イギリスのロックバンド)
「R.I.P.(ご冥福を)ルー・リード。これからはピースフル・サイドを歩け」

ニール・ヤング(カナダ出身のミュージシャン)
「俺たちはもっとルー・リードを求めていた」

アンソニー・キーディス(Red hot chili peppers)
「ニューヨークの街を歩いた最もクール男だった」

フリー/Red hot chili peppers(アメリカのロックバンド)
「僕はルー・リードをとても愛している。いつでも」

ニッキー・シックス/Motley Crue(アメリカのバッドボーイズ系ハードロックバンド)
「ルー・リードよ、安らかに眠れ。あなたの美しくてダークなリリックと音楽や、人生におけるスタンスに感謝します。僕は10代の頃から今日の今日まで、ずっとあなたにインスパイアされてきました」

ネイサン・フォロウィル/Kings of leon(アメリカのロックンロールバンド)
「R.I.P.ルー・リード」

ジェラルド・ウェイ/元My Chemical Romance(アメリカのロックバンド)
「R.I.P.ルー・リード」

ナイル・ロジャース(アメリカの音楽プロデューサー/ギタリスト)
「ルー・リードR.I.P.。去年、ジュールズ・ホランドのテレビ番組で共演して大笑いしたのに。病気だったとは知らなかったよ……」

ウィーザー(アメリカのパワーポップバンド)
「R.I.P.ルー・リード。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドはウィーザーが結成した頃、大きな影響となって、リック・オケイセックにはその稀有な友情について聞かされたもんだったよ」

パトリック・カーニー/The Black Keys(アメリカのガレージ系バンド)
「R.I.P.ルー・リード」

トム・モレロ/Rage Against the Machine(アメリカのミクスチャーバンド)
「ぼくをルー・リードとヴェルヴェット・アンダーグラウンドに紹介してくれたのは、”ロックン・ロール”のジェーンズ・アディクションのカヴァーだった。孤高の独特な才能だった。ルー・リードR.I.P.、そしてありがとう」

アーヴィン・ウェルシュ(スコットランド出身の小説家)
「ルー・リードの訃報が悲しい。あれほどのスターが。R.I.P.ルー、映画『トレインスポッティング』に”パーフェクト・デイ”を使わせてくれてありがとう」
 
 

 
 
僕とルーリードの出会いは、確か高校二、三年の頃だったと思います。
衝撃的な出会いだとかそういったものは一切なく、彼の歌声のようにさり気なく聞いていた。
その頃すでにデヴィッド・ボウイのファンになっていた僕がルー・リードに興味を持つということは極めて自然なことだったと思います。
デヴィッドボウイが写っている写真で、イギー・ポップとルー・リードとのスリーショットがあります。
bowieiggylou
僕はこの写真が大好きでした。
この写真を見れば彼らがどういう人間かというのが伝わってくる気がするからです。
派手で奇妙なデヴィッド・ボウイは本当は真面目で大人しそうな人間なんだな、と思うし、
危険で暴力的なイギーポップは本当にバキバキのジャンキーなんだな、と思う。
そして一番地味だけどこいつが一番ヤバそうだなと感じるのがルー・リードでした。
ショートヘア、全身黒、ティアドロップ型のサングラスをかけた彼は、静かに微笑んでいる。
何故だか一番やばく見えるのです。一番怖いんだろうな。そういった印象でした。

しかしハッキリ言って高校生の僕には彼の音楽の良さというのがまるで分かりませんでした。
曲も地味だし、イギーやボウイの方がギラギラしてて魅力的でした。
そんな彼の音楽の魅力に気付いたのは、映画トレインスポッティングでした。
映画の中で主人公がオーバードーズで死にかけるシーンで、彼のPerfect Dayが使われていました。
暗いどんより空のような曲なのですが、サビに入った瞬間、晴れ間が広がり太陽の光が降り注ぐようなこの曲に僕は感動しました。

その後にベルベッツも聞きなおしましたが、なかなかハマれませんでしたが、
時を経て、つい四、五年前、僕がバンドを始めた頃にその良さは分かったような気がします。
朝早く起きて、夜も早く寝る、高校の頃は分かりませんでした。
僕が夜に生きるようになってからです、彼の音楽が心に響いたのは。
夜の楽しさと恐ろしさ。
何かがなければ、何も見えない世界。月が形を変えるのは夜の顔が一つではないから。
少し自分が悪くなったような気がするけど、それと同時に今までの自分よりは良くなった気もする。
ルー・リードの音楽は、夜に鳴るのだと思います。
ベルベッツの曲のサンデーモーニングも夜。
十分寝た後の目覚めに聞くより、
徹夜後に太陽が昇る様を見て、何とも言えない気持ちで聞く方があっている。
シャイニー、シャイニーと来て次にブーツオブレザーと来る世界。
「僕はもう疲れた。うんざりなんだよ。千年だって眠ることができた。
しかし千の夢が僕の目を覚ます。涙から作られたさまざまな夢の色たちだ」
 

 
たしかに彼はかけがえのない存在でした。
それはこれからもずっとそうです。
 
R.I.P Lou Reed
 

The Next Day – David Bowie

月曜日, 3月 18th, 2013 | Permalink


エーブックスタッフの水野です。

先日、ブログで紹介しました、3/13に発売されましたDavid Bowieの新作『The Next Day』を買ってきました。

僕は昔のロックが好きなため、リアルタイムで新作の発売日を待つということは基本的にあまりないことなので、胸が躍っておりました。
しかも僕の一番好きだと言えるデヴィッドボウイの新作なのです。もう三月が近付くにつれ今までに体感したことのない気持ちになりました。すごく期待している半面、不安もあり、あまり期待せずにとりあえずデヴィッドボウイの新作を聞けるという事実を楽しもうといった、よく分からない気持ちでおりました。これがデヴィッドボウイの新作を待つ気持ちなのか~、といった感じです。
 
発売日の前日に家から徒歩で約15分のTSUTAYAにフライングゲットしに行ったのですが、あの天下のDavid Bowieの新作なのに、なんの特集も組まれておらず(住宅街のCD屋だからそりゃそうか)、洋楽新譜コーナーにひっそりと置いてありました。
CD帯に書かれた「誰も知らなかった。その時が来るのを。誰もが待っていた。その時が来るのを」というキャッチコピーも秀逸。
初回盤のデラックスエディションを購入しました。
税込2,800円。アルバム14曲に加え、ボーナストラック3曲、更に日本盤限定でボーナスもう1曲の全18曲。

CDを買い、本のコーナーではCROSSBEATのDavid Bowie特集の雑誌を発見。
見るからに宇宙人な70年代初期グラムロック時代のデヴィッドボウイの表紙。既存の写真の手が加えてあるのか、初めて見る色合い。このポスター欲しい。
しかし、本屋の雑誌売場の音楽コーナーはどんどん縮小されていきますね。
本の内容は全編デヴィッドボウイ。どのページを開いてもデヴィッドボウイ。
値段を見ると税込1890円。ちょっと高い。
だが、全キャリアの情報を網羅しており、さらに昔のインタビュー記事も載っている。おそらく永久保存版となる一冊。金欠気味だったが、買うことにしました。

 
帰路ではipodで比較的最近である2000年代のアルバム『Heathen』を聞いて予習。しかしこのアルバムのSlow Burnは名曲だ。
 
帰宅し、早速CDコンポにThe Next Dayを入れ、スピーカーの向きも整える。
そして、再生ボタンを押し、部屋の真ん中あたりに座る。
スピーカーから一曲目の表題曲でもあるThe Next Dayのイントロが流れ出し、三秒でこれは良い・・・と思ってしまいました。
先行シングルのWhere are we now?から察するに僕はhours…のようなパーソナルで内向的なイメージを抱いていたのですが、これは違いました。
なんとエネルギッシュなのでしょう、66歳(レコーディング時は65か)の歌声なのか。
サウンドは、やはりベルリン時代を思わせる、奇妙でいながらポップなもの。LowのSpeed of lifeに歌をつけたようなイメージ。
2曲目のDirty Boysは、サックスのリフをフューチャーした曲。イギーポップのThe idiotを彷彿とさせます。
3曲目のThe Stars (Are Out Tonight)は、セカンドシングル。Youtubeで聞いた時は特にシングルっぽい曲だなぁといった具合に何も感じなかったのですが、聞けば聞くほど味の出るスルメソング。なんだか元The Yellow Monkeyの吉井和哉の最近のソロのような雰囲気。クサいコーラスがいかにもデヴィッドボウイらしい。

しかし、このPVで若い頃のデヴィッドボウイ?を演じているモデルが妙にデヴィッドボウイに似ていて良いです。
4曲目のLove is Lostは、シンセとエフェクトをかけたタムの音が印象的なマイナー調な曲。90年代の特にhours…のような曲です。独特な間と、韻を踏む、歌い回しがいかにもデヴィッドボウイ的。これはなかなか口ずさめないパターンです。
そして、5曲目のWhere are we now?。これもhours…っぽいのですが、比べて聴いてみるとこちらはかなりシンプルな演奏のように感じられます。大サビの静かなる盛り上がりが涙を誘います。ギターが泣けます。
6曲目のValentine’s Dayは、ポップなバラード。コーラスがZiggy Stardustの頃を思い出させます。サビでマイナーに転調するのが泣ける。歌声も20代のそれとまるで同じです。
これは分かり易く名曲。
7曲目のIf you can see meは、スケアリーモンスターズだったりアウトサイドだったりと、ブライアンイーノなイメージ。変拍子に乗せて畳み掛けるように歌います。デヴィッドボウイの変態的で実験的な側面といった感じです。
8曲目のI’d Rather Be Highは、パワプロとかの野球ゲームのメニュー画面のようなイントロが印象的なミドルテンポの曲。
9曲目のBoss Of Meは、90年代後半~2000年代のデヴィッドボウイといった感じ。ベースの独特の演奏がかっこいい。
10曲目のDancing Out In Spaceは、両手を広げて草原を走りたくなるような爽やかな曲。思い浮かぶのはイギリスの風景(言ったことないけれど)。
11曲目のHow Does the Grass Grow?は、いかにも”メジャーなマイナー”な存在であったスケアリーモンスターズの頃のようなB級ロック。
12曲目の(You Will) Set the World On Fireはファンの間では人気のない80年代の頃の所謂世界のスーパースターだった頃のデヴィッドボウイのような曲ですが、かっこいいのです。デカいホールに、デカい頭で浅黄色のスーツに赤いネクタイでステップ踏みながら歌っているような映像が目に浮かびます。
13曲目のYou Feel So Lonely You Could Dieは、『ロックンロールの自殺者』のジギースターダストの頃を髣髴とさせるパセティックでロマンティックなバラード。ストリングスとコーラスが盛り上げます。
グラムロックという夢のような時代を回想し、ジギースターダストという架空の自分に語りかけるような歌。なんだかんだでグラムロックが大好きな僕にとってはとても感慨深い曲。「君は死にたくなるような孤独を感じるだろう」という歌詞は切ない。イメージこそ全てとし、虚構に塗れたスターの末路のような曲です。
そして、最後、14曲目のHeatは、ドアーズのThe Endを髣髴とさせる曲。歌詞の中に三島由紀夫に関連するワードが出てきたり、抽象的なのか、物語なのか、よく分からない歌詞が印象的。所々入るドラムのフィルがスペースオディティ。
 
・・・以上アルバム曲の感想といいますか、紹介です。あくまで僕の主観ですのであしからず。
ボーナス曲は割愛させていただきます。
が、ボーナス曲もまたすごく良いのです。
 
それで、このアルバムを聞いた感想として、とにかく良かったの一言に尽きます。
曲の雰囲気を分かりやすく伝えるために、過去の作品を引き合いに出したりしましたが、この作品は、過去の作品の焼き回しでは決してないです。デヴィッドボウイのニューアルバムなのです。
今まで彼は、キャラクターだったり、コンセプトを打ち出して、デヴィッドボウイという一人の人間が出来る色んな音楽を聞かせてくれるという、言うなれば、彼の中の100ある中の1に焦点を当てて、それを100にするという感じだったのですが、ヒーザンあたりからデヴィッドボウイというアーティストの音楽そのもの、つまり1を1として表現しているように感じられます。
今回のアルバムもまさにそれだと思いました。デヴィッドボウイが過去の作品を否定せず、積み重ねた音楽性が詰め込んだようなアルバムなのです。
新しいのですが、ポップ。親しみやすいのですがどこか得体の知れないところがある。
そんなアルバムです。

 
求めているサウンドの更に上を行きました。

イギー・ポップ

月曜日, 2月 25th, 2013 | Permalink


エーブックスタッフの水野です。

僕の好きなミュージシャンの中で、おそらく五本の指に入るであろう人物、イギー・ポップの話をしようと思います。
 

 
イギーポップとは元々ストゥージズというバンドでボーカルをやっていたボーカリスト。
ストゥージズは、バッキバキの荒々しいギターにイギーの暴力的に湿ったボーカルが絡みつく、所謂パンクの先駆けといわれたバンドです。
イギーはライブ中にステージ上で嘔吐したり、ナイフで己の体を切り刻んだり、裸でガラス破片の上を転げ回って救急車で搬送されたり、とにかくパフォーマンスが凄まじいのです。

そこばかりが注目されがちな彼ですが、彼のすごいのは声。奇声といわれれば勿論そうなのですが、決して奇人を演じて発しているのではなくて、なんというか、ホラー映画で殺人鬼に出くわしてしまった瞬間の悲鳴のようなのです。
どういう状況でレコーディングしているんだ?というか、ライブでそういう悲鳴を上げるのは分かるけど、レコーディングでもそれを入れるか?と思ってしまいますが、そこが彼の良いところなのだと思うのです。
CDの再生ボタンを押して、曲が始まり、イギーのボーカルが入った瞬間、「ウワッ、イギーだ!」となる。・・・当たり前ですが、もうそれはイギーでしかないのです。
それはイギーでしか体感できないのです。
ストゥージズはそういうバンドです。イギー的にどう思っているのか分からないですが、僕の中でイギーポップはストゥージズなのです。
 
それと彼の素晴らしいのはルックス。
カッコいい顔なんですが、カッコよく見えないのが良いのです。カッコいいというか、イギーだなという感じなんです。
マッチョで、ロックバンドのボーカルであれほど肉体的なアピールをした人ってイギーが最初なんではないでしょうか。
 

 
彼のやっていたストゥージズは、三枚のアルバムを出し、やがてメンバーの薬物中毒などにより1974年に解散休止しました。
彼自身抜け殻のようになっていたその時に、彼に手を差し伸べたのが、当時スターへの階段を上りつつあったデヴィッド・ボウイなのでした。
デヴィッド・ボウイはイギーのその類稀な表現力に心を打たれた人間の一人だったのです。
1977年、デヴィッド・ボウイのプロデュースによりソロ活動を始めたのです。
 
時は流れ、2003年に29年ぶりにストゥージズは再結成されました。
しかし、2009年、ギタリストのロン・アシュトンが心筋梗塞の為、亡くなりました。
彼がいなくなった今も、ストゥージズは続いている様子です。
 
それで、何で今回イギーについて書いているかと言うと、イギー・ポップが先日、英国の新聞『Independent』のインタビューにて、デヴィッド・ボウイについて興味深いことを言っていたのです。
  
「彼はおそらくこの10年でいろんなことをしてきたに違いない。でも、それは俺らの知ったことじゃない。公の場では何もしなかった。俺は、それって素晴らしいと思う。敬服するよ。俺もそういう方向へ向かおうとしているんだ。君ら(ジャーナリスト)と話すのはウンザリだ。嫌な意味で言っているわけじゃないけど」
 
デヴィッドボウイはおそらく役者肌で、彼の中の1を100にするというと分かりにくいかもしれませんが、彼自身が持つパワーを色んな形で発表するというタイプなのです。
しかし、イギーはおそらくその逆、彼の中の100を1にする、彼自身が全力で出来ることを一つだけするというタイプなのです。
そう考えたら、イギーは多分止まってしまうのは、イギー・ポップをやめるということを意味してしまう気がします。
しかし、僕がイギーポップの好きなところの一つとして、一度止まってまた歩き出したら、止まる前に戻っている、ところなのです。
何か自分で書いていてもよく分からなくなってきましたが、イギーはイギーでしかないということです。
そんな彼のバンド、ストゥージズは、4月にニューアルバムを発売する予定です。
それとは別に、ジョニー・デップとパイレーツ・オブ・カリビアンの監督ゴア・ヴァービンスキーが発案した、“海賊”をテーマにしたコンピレーション・アルバム『Son Of Rogue’s Gallery: Pirate Ballads, Sea Songs And Chanteys』に参加しており、これは2/19に発売されたようです。
このアルバムにはイギーの他に、ジョニー・デップ、トム・ウェイツ、キース・リチャーズ、フランク・ザッパ、トッド・ラングレン、マイケル・スタイプ、マリアンヌ・フェイスフル、パティ・スミス、ニック・ケイヴらが参加していて、伝統的な“海賊”の曲をカバーしているようです。
メンツがヤバイです。
 

ドレスコーズ

月曜日, 12月 10th, 2012 | Permalink


エーブックスタッフの水野です。
先日、日本コロムビアから、ドレスコーズというバンドのファーストアルバムが発売されました。
ドレスコーズとは、依然『毛皮のマリーズ』というバンドをやっていた志磨遼平が新しく結成したバンドです。

僕は、毛皮のマリーズがまだキャパ200人くらいのそんな大きくないライブハウスでやっていた駆け出し頃からのファンでありまして、彼らの音楽は平たく言うと、所謂”古いオールドスクールのロックンロール”を愛しすぎてそのままやってしまったというものです。
僕は当時18歳、「俺は人とは違うんじゃ~」という意識で、そういう所謂ロック!って感じの音楽からは離れ、アバンギャルドな音楽に憧れていました。
しかし、元々好きな音楽は、ローリングストーンズから始まり、イギリスのデヴィッドボウイやティーレックス、アメリカのイギーポップやルーリードやニューヨークドールズ・・・などの危なっかしくも美しい、下品でいて崇高、暴力的だが可愛い、そして毒々しく清々しい、そんな音楽でした。

その当時、東京では9mmパラベラムバレットなどが所属する残響レコードなどに代表されるスタイリッシュでストイックなギターロック、
関西ではボアダムスから始まり、あふりらんぽ、オシリペンペンズ、ワッツーシゾンビなどの関西ゼロ世代といわれる日本人の土着的な感性のヘンテコ系バンドが人気を博していました。
その関西の音楽がなんともアバンギャルドでパフォーマンスも面白くて僕はハマっていて、ある日、名古屋にオシリペンペンズ、ワッツーシゾンビらが大阪から名古屋に来るというのを知り、ライブを見に行ったのです。
ワッツーシとペンペンズを見終わり満足した僕、次のバンドは東京から来た毛皮のマリーズってバンドか、寺山修司が好きなのかな?暗くて怪しいおどろおどろしいバンドなのかな?と考えていたその時、会場にエディットピアフの『愛の讃歌』がSEで流れ出した。
クールなギターがギターのノイズをフィードバックさせる、可愛い女のベースと太ったドラムが激しいリズムを刻みだす。そして、おそらく身長180cm以上あるであろう長身で、心配になるほど痩せた、長髪の、鷲鼻の男が、突然ステージに飛び出したのです。

彼は、腰に手をやりポーズを決めて、真っ赤な口紅が塗られた大きな口を開けて歌いだしたのです。
僕はショックでした。人とは違っていたいという理由(勿論それらが好きなのであるが)でアバンギャルドな音楽に憧れていた僕はショックを受けたのでした。
「君の本当に好きなのはコレなんだろう?」
そんな声が聞こえてきそうでした。
ニューヨークドールズの頃のジョニーサンダースのようなルックスに、声質はジョンライドン、しかし歌は上手い。マークボランのようなビブラート。
イギーポップのようにステージを転げまわったと思えば、ミックジャガーのように腰をクネクネさせて踊りだす。そしてデヴィッドボウイのように両手を広げて歌い上げる。
妖しいミックジャガー?危なっかしいイギーポップ?無邪気なマークボラン?下品なデヴィッドヨハンセン?はたまた崇高なデヴィッドボウイ?
志磨遼平、彼には全ての要素があった。
「こ、こいつはロックの化身だ!」
僕はとにかくショックを受けたのです。

それ以来、彼らが東京から名古屋へライブしに来る度、見に行きました。サインもらって、自分のやっているバンドのデモ音源を渡したのは良い思い出です。
ライブへ行く度、お客さんの数が増えていき、最初は四バンド、五バンドのブッキングだったが、次第にツーマン、そしてワンマンに。
2010年、彼らはついにメジャーデビューし、メディアにもよく出るようになりました。
この頃からチケットが取りづらくなり、あまりライブに行かなくなっていったのです。
しかし、相変わらずアルバムは追って買っており、メジャーデビューしてから三枚目、インディーズも含めれば六枚目のアルバムが2011年の12月に発売されました。
そのアルバムは発売されるまでトラックリストなどの情報はおろか、アルバムタイトルすら一切公開されておらず、発売日当日、情報が解禁され、そのアルバムの名は『THE END』。
そう、彼らのラストアルバムであったのです。
そして同時に発表された、日本武道館公演。それを最後に毛皮のマリーズは解散したのでした。

僕が始めてリアルタイムで追った正真正銘のロックバンド、その早すぎる解散にまたまたショックを受けた僕でした。
毛皮のマリーズ、それはまるで僕の青春、魔法のようなバンドです。
21世紀、このご時勢、日本の音楽界に、とびっきり危険で切ないキラキラしたロックンロールを奏でてくれたのは今でも信じられません。
志磨遼平本人も雑誌のインタビューで
毛皮のマリーズは僕にとって“祈り”であり、特別な才能が無くても、音楽が好きで続けていれば誰でもメジャーデビューできて、日本武道館でライブが出来る、という”祈り”を証明したバンド
というようなこと言っており、なかなか、いや、かなり感慨深かったです。

そして、間髪入れずに結成されたバンド、ドレスコーズ
まずバンド名からして、違った印象が感じられました。
『毛皮のマリーズ』というバンド名からも分かるように、毛皮のマリーズにはある種のテーマ性があった思います。古い、既存の、みんなが憧れた、かっこいいロックンローラー像を体現するバンドであったが、ドレスコーズという名前は、もっと大きなイメージが感じられます。
テンプレート化された既存のロックンロールが普段着なら、ドレスとは一体どんな音楽になるのでしょうか?
そう思うと、さらなる上のステージに上がるようなイメージもあります。

少々前置きが長くなってしまいましたが、そんなドレスコーズのファーストアルバムが、12/5に発売されました。

1st Album『the dresscodes』

初回限定盤【CD+DVD】
COZP-735~6 ¥3,360(tax in)

通常盤【CDのみ】
COCP-37693 ¥2,940(tax in)

M-01 Lolita
M-02 Trash
M-03 ベルエポックマン
M-04 ストレンジピクチャー
M-05 SUPER ENFANT TERRIBLE
M-06 Puritan Dub
M-07 Automatic Punk
M-08 リリー・アン
M-09 レモンツリー
M-10 誰も知らない
M-11 (This Is Not A)Sad Song
M-12 1954

近所のTSUTAYAで初回版を購入してきました。
帰り道、カーステレオで聞きながら帰ったのですが、一曲、二曲、三曲・・・うわー、かっこいいな。四曲、五曲・・・とっくに家には着いているのですが、その場を離れることが出来なかったのです。

アルバムが進むに連れ膨らむ、明らかな違和感。
予想を上回る、いや予想に”反する”と言った方が正しいでしょうか、そんな衝撃があるのです。
毛皮のマリーズがセックスピストルズなら、ドレスコーズはPIL?違うか。そんなベタな例えは不要とすら聞こえてきそうです。
毛皮のマリーズがロンドンの裏通りで行われるパーティなら、ドレスコーズはイタリア南部の郊外で起きた事件・・・よく分からない例えですけどそんな印象です。
夜明け前の荒野にて、言葉もなく馬を引いて歩いている男たちって感じ。

歌が明らかに上手くなっている。歌詞が洗練されている。
ギターがギャンギャンでなんか変だ。変わった音階を使っているようにも聞こえる。
ベースがブリンブリンで踊れる。
ドラムはキースムーン?いやフリージャズ?ドタバタしているがタイトで気持ちいい。
とにかく演奏がすごい。ちゃんと勝負している感じがします。

これがメジャーのしかも大手の日本コロムビアから出ているのか・・・こんなアバンギャルドでいてポップな、ノスタルジックだが真新しい、親しみやすいが狂気的、震えるような音楽です。
アルバムを聞き始めた印象と、聞き終わった時の印象が大きく違うというのはよくありますが、曲単位でそれが体験できるのはなかなかない気がします。
『ロック』という、くくるには大きすぎるジャンルでもくくりきれないような音楽だと思います。
古いロックが好きな人にも勿論いけますが、東京事変とか椎名林檎が好きな人にもいける気がします。

毛皮のマリーズは「僕はこんな音楽たちが大好きなんです」という自己紹介だったのなら、
ドレスコーズは「では僕はこういう音楽をやります」という明らかな攻めの姿勢が感じられました。

なんだか長々と熱く語ってしまいましたが、おそらく日本のロック史に一石を投じるようなバンドであると思います。

最近の投稿

出張買取エリア