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The Next Day – David Bowie

月曜日, 3月 18th, 2013 | Permalink


エーブックスタッフの水野です。

先日、ブログで紹介しました、3/13に発売されましたDavid Bowieの新作『The Next Day』を買ってきました。

僕は昔のロックが好きなため、リアルタイムで新作の発売日を待つということは基本的にあまりないことなので、胸が躍っておりました。
しかも僕の一番好きだと言えるデヴィッドボウイの新作なのです。もう三月が近付くにつれ今までに体感したことのない気持ちになりました。すごく期待している半面、不安もあり、あまり期待せずにとりあえずデヴィッドボウイの新作を聞けるという事実を楽しもうといった、よく分からない気持ちでおりました。これがデヴィッドボウイの新作を待つ気持ちなのか~、といった感じです。
 
発売日の前日に家から徒歩で約15分のTSUTAYAにフライングゲットしに行ったのですが、あの天下のDavid Bowieの新作なのに、なんの特集も組まれておらず(住宅街のCD屋だからそりゃそうか)、洋楽新譜コーナーにひっそりと置いてありました。
CD帯に書かれた「誰も知らなかった。その時が来るのを。誰もが待っていた。その時が来るのを」というキャッチコピーも秀逸。
初回盤のデラックスエディションを購入しました。
税込2,800円。アルバム14曲に加え、ボーナストラック3曲、更に日本盤限定でボーナスもう1曲の全18曲。

CDを買い、本のコーナーではCROSSBEATのDavid Bowie特集の雑誌を発見。
見るからに宇宙人な70年代初期グラムロック時代のデヴィッドボウイの表紙。既存の写真の手が加えてあるのか、初めて見る色合い。このポスター欲しい。
しかし、本屋の雑誌売場の音楽コーナーはどんどん縮小されていきますね。
本の内容は全編デヴィッドボウイ。どのページを開いてもデヴィッドボウイ。
値段を見ると税込1890円。ちょっと高い。
だが、全キャリアの情報を網羅しており、さらに昔のインタビュー記事も載っている。おそらく永久保存版となる一冊。金欠気味だったが、買うことにしました。

 
帰路ではipodで比較的最近である2000年代のアルバム『Heathen』を聞いて予習。しかしこのアルバムのSlow Burnは名曲だ。
 
帰宅し、早速CDコンポにThe Next Dayを入れ、スピーカーの向きも整える。
そして、再生ボタンを押し、部屋の真ん中あたりに座る。
スピーカーから一曲目の表題曲でもあるThe Next Dayのイントロが流れ出し、三秒でこれは良い・・・と思ってしまいました。
先行シングルのWhere are we now?から察するに僕はhours…のようなパーソナルで内向的なイメージを抱いていたのですが、これは違いました。
なんとエネルギッシュなのでしょう、66歳(レコーディング時は65か)の歌声なのか。
サウンドは、やはりベルリン時代を思わせる、奇妙でいながらポップなもの。LowのSpeed of lifeに歌をつけたようなイメージ。
2曲目のDirty Boysは、サックスのリフをフューチャーした曲。イギーポップのThe idiotを彷彿とさせます。
3曲目のThe Stars (Are Out Tonight)は、セカンドシングル。Youtubeで聞いた時は特にシングルっぽい曲だなぁといった具合に何も感じなかったのですが、聞けば聞くほど味の出るスルメソング。なんだか元The Yellow Monkeyの吉井和哉の最近のソロのような雰囲気。クサいコーラスがいかにもデヴィッドボウイらしい。

しかし、このPVで若い頃のデヴィッドボウイ?を演じているモデルが妙にデヴィッドボウイに似ていて良いです。
4曲目のLove is Lostは、シンセとエフェクトをかけたタムの音が印象的なマイナー調な曲。90年代の特にhours…のような曲です。独特な間と、韻を踏む、歌い回しがいかにもデヴィッドボウイ的。これはなかなか口ずさめないパターンです。
そして、5曲目のWhere are we now?。これもhours…っぽいのですが、比べて聴いてみるとこちらはかなりシンプルな演奏のように感じられます。大サビの静かなる盛り上がりが涙を誘います。ギターが泣けます。
6曲目のValentine’s Dayは、ポップなバラード。コーラスがZiggy Stardustの頃を思い出させます。サビでマイナーに転調するのが泣ける。歌声も20代のそれとまるで同じです。
これは分かり易く名曲。
7曲目のIf you can see meは、スケアリーモンスターズだったりアウトサイドだったりと、ブライアンイーノなイメージ。変拍子に乗せて畳み掛けるように歌います。デヴィッドボウイの変態的で実験的な側面といった感じです。
8曲目のI’d Rather Be Highは、パワプロとかの野球ゲームのメニュー画面のようなイントロが印象的なミドルテンポの曲。
9曲目のBoss Of Meは、90年代後半~2000年代のデヴィッドボウイといった感じ。ベースの独特の演奏がかっこいい。
10曲目のDancing Out In Spaceは、両手を広げて草原を走りたくなるような爽やかな曲。思い浮かぶのはイギリスの風景(言ったことないけれど)。
11曲目のHow Does the Grass Grow?は、いかにも”メジャーなマイナー”な存在であったスケアリーモンスターズの頃のようなB級ロック。
12曲目の(You Will) Set the World On Fireはファンの間では人気のない80年代の頃の所謂世界のスーパースターだった頃のデヴィッドボウイのような曲ですが、かっこいいのです。デカいホールに、デカい頭で浅黄色のスーツに赤いネクタイでステップ踏みながら歌っているような映像が目に浮かびます。
13曲目のYou Feel So Lonely You Could Dieは、『ロックンロールの自殺者』のジギースターダストの頃を髣髴とさせるパセティックでロマンティックなバラード。ストリングスとコーラスが盛り上げます。
グラムロックという夢のような時代を回想し、ジギースターダストという架空の自分に語りかけるような歌。なんだかんだでグラムロックが大好きな僕にとってはとても感慨深い曲。「君は死にたくなるような孤独を感じるだろう」という歌詞は切ない。イメージこそ全てとし、虚構に塗れたスターの末路のような曲です。
そして、最後、14曲目のHeatは、ドアーズのThe Endを髣髴とさせる曲。歌詞の中に三島由紀夫に関連するワードが出てきたり、抽象的なのか、物語なのか、よく分からない歌詞が印象的。所々入るドラムのフィルがスペースオディティ。
 
・・・以上アルバム曲の感想といいますか、紹介です。あくまで僕の主観ですのであしからず。
ボーナス曲は割愛させていただきます。
が、ボーナス曲もまたすごく良いのです。
 
それで、このアルバムを聞いた感想として、とにかく良かったの一言に尽きます。
曲の雰囲気を分かりやすく伝えるために、過去の作品を引き合いに出したりしましたが、この作品は、過去の作品の焼き回しでは決してないです。デヴィッドボウイのニューアルバムなのです。
今まで彼は、キャラクターだったり、コンセプトを打ち出して、デヴィッドボウイという一人の人間が出来る色んな音楽を聞かせてくれるという、言うなれば、彼の中の100ある中の1に焦点を当てて、それを100にするという感じだったのですが、ヒーザンあたりからデヴィッドボウイというアーティストの音楽そのもの、つまり1を1として表現しているように感じられます。
今回のアルバムもまさにそれだと思いました。デヴィッドボウイが過去の作品を否定せず、積み重ねた音楽性が詰め込んだようなアルバムなのです。
新しいのですが、ポップ。親しみやすいのですがどこか得体の知れないところがある。
そんなアルバムです。

 
求めているサウンドの更に上を行きました。

イギー・ポップ

月曜日, 2月 25th, 2013 | Permalink


エーブックスタッフの水野です。

僕の好きなミュージシャンの中で、おそらく五本の指に入るであろう人物、イギー・ポップの話をしようと思います。
 

 
イギーポップとは元々ストゥージズというバンドでボーカルをやっていたボーカリスト。
ストゥージズは、バッキバキの荒々しいギターにイギーの暴力的に湿ったボーカルが絡みつく、所謂パンクの先駆けといわれたバンドです。
イギーはライブ中にステージ上で嘔吐したり、ナイフで己の体を切り刻んだり、裸でガラス破片の上を転げ回って救急車で搬送されたり、とにかくパフォーマンスが凄まじいのです。

そこばかりが注目されがちな彼ですが、彼のすごいのは声。奇声といわれれば勿論そうなのですが、決して奇人を演じて発しているのではなくて、なんというか、ホラー映画で殺人鬼に出くわしてしまった瞬間の悲鳴のようなのです。
どういう状況でレコーディングしているんだ?というか、ライブでそういう悲鳴を上げるのは分かるけど、レコーディングでもそれを入れるか?と思ってしまいますが、そこが彼の良いところなのだと思うのです。
CDの再生ボタンを押して、曲が始まり、イギーのボーカルが入った瞬間、「ウワッ、イギーだ!」となる。・・・当たり前ですが、もうそれはイギーでしかないのです。
それはイギーでしか体感できないのです。
ストゥージズはそういうバンドです。イギー的にどう思っているのか分からないですが、僕の中でイギーポップはストゥージズなのです。
 
それと彼の素晴らしいのはルックス。
カッコいい顔なんですが、カッコよく見えないのが良いのです。カッコいいというか、イギーだなという感じなんです。
マッチョで、ロックバンドのボーカルであれほど肉体的なアピールをした人ってイギーが最初なんではないでしょうか。
 

 
彼のやっていたストゥージズは、三枚のアルバムを出し、やがてメンバーの薬物中毒などにより1974年に解散休止しました。
彼自身抜け殻のようになっていたその時に、彼に手を差し伸べたのが、当時スターへの階段を上りつつあったデヴィッド・ボウイなのでした。
デヴィッド・ボウイはイギーのその類稀な表現力に心を打たれた人間の一人だったのです。
1977年、デヴィッド・ボウイのプロデュースによりソロ活動を始めたのです。
 
時は流れ、2003年に29年ぶりにストゥージズは再結成されました。
しかし、2009年、ギタリストのロン・アシュトンが心筋梗塞の為、亡くなりました。
彼がいなくなった今も、ストゥージズは続いている様子です。
 
それで、何で今回イギーについて書いているかと言うと、イギー・ポップが先日、英国の新聞『Independent』のインタビューにて、デヴィッド・ボウイについて興味深いことを言っていたのです。
  
「彼はおそらくこの10年でいろんなことをしてきたに違いない。でも、それは俺らの知ったことじゃない。公の場では何もしなかった。俺は、それって素晴らしいと思う。敬服するよ。俺もそういう方向へ向かおうとしているんだ。君ら(ジャーナリスト)と話すのはウンザリだ。嫌な意味で言っているわけじゃないけど」
 
デヴィッドボウイはおそらく役者肌で、彼の中の1を100にするというと分かりにくいかもしれませんが、彼自身が持つパワーを色んな形で発表するというタイプなのです。
しかし、イギーはおそらくその逆、彼の中の100を1にする、彼自身が全力で出来ることを一つだけするというタイプなのです。
そう考えたら、イギーは多分止まってしまうのは、イギー・ポップをやめるということを意味してしまう気がします。
しかし、僕がイギーポップの好きなところの一つとして、一度止まってまた歩き出したら、止まる前に戻っている、ところなのです。
何か自分で書いていてもよく分からなくなってきましたが、イギーはイギーでしかないということです。
そんな彼のバンド、ストゥージズは、4月にニューアルバムを発売する予定です。
それとは別に、ジョニー・デップとパイレーツ・オブ・カリビアンの監督ゴア・ヴァービンスキーが発案した、“海賊”をテーマにしたコンピレーション・アルバム『Son Of Rogue’s Gallery: Pirate Ballads, Sea Songs And Chanteys』に参加しており、これは2/19に発売されたようです。
このアルバムにはイギーの他に、ジョニー・デップ、トム・ウェイツ、キース・リチャーズ、フランク・ザッパ、トッド・ラングレン、マイケル・スタイプ、マリアンヌ・フェイスフル、パティ・スミス、ニック・ケイヴらが参加していて、伝統的な“海賊”の曲をカバーしているようです。
メンツがヤバイです。
 

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