エーブックスタッフの水野です。
さくらももこの漫画『ちびまる子ちゃん』の実写ドラマが秋から始まるみたいです。
実写ドラマ化は2006年4月・10月のスペシャルドラマ、2007年4月から2008年2月の連続ドラマに続き3度目です。
小学生の頃、日曜日の夕方6時といえばちびまる子ちゃんを見ていました。
妹が単行本を集めておりそれも読んでいました。
さくらももこは今でこそ国民的なほのぼの日常系ギャグ少女漫画の作者ですが、僕の中では違います。
なんというか笑いが絶妙と微妙の間を縫うように行き来しているのです。
元々ちびまる子ちゃんは作者のエッセイ漫画であり、個性豊かなキャラクターは創作もあるのですがほとんどが当時小学三年生の頃のクラスメイトだったそうです。
話が日常を切り取ったものなので、笑いも「ギャグ」ではなく「笑ったこと」でしかないのです。
なんというかドッカーン!とくる笑いではなく、ジワジワくる感じというか・・・たとえドッカーン!ときたとしても周りはクスッときただけで、涙流して笑っているのは自分だけ・・・
というような、ツボにはまれば抜け出せず、はまらなければ素通りしてしまう、そんなシュールな笑いなのです。
一応、少女漫画雑誌『りぼん』でこのようなシュールな笑いで連載していたのは珍しかったのではないでしょうか。
ギャグの他に、さくらももこは感情のニュアンスを描くのが上手いと思います。
例えばシャイな人が何か友達に昨日あった面白いことを話そうと思っていたけど、何か話すタイミングが見つからず他の人の話の方が面白い気がするし、これを話して大して何も反応を得られなかったらどうしよう・・・というような取るに足らない出来事を描くことがすごく上手いのです。
それと、子どもが抱く、恋とも友情とも違う”憧れ”という感情。
性別はどちらでもありうるのですが、年は10くらい上の人で、
年齢的には小学生の10上なので20前後なのですが、妙に大人に見え、
男の人ならかっこよく、女の人ならきれいに見えるのです。
何だか仲良くなりたいと思うのです。
親戚の子が親戚のお兄ちゃんお姉ちゃんと遊びたがるような感覚とは似ているようでいて、また違う気がするのです。
甘えではなく、憧れがあるのです。
言葉一つ一つなんか大人っぽく知的に聞こえて、強く、優しくて見え、こういう風になりたいなと思うのです。
親兄弟や友達ほど近くはなく、アイドルほど遠くない、手が届きそうで届かない憧れ。
ひょんなことから会う機会がなくなっていき、その後どうなったのかは知らない憧れ。
これは今考えてみると大人になるにつれて無くなっていった感情なのではないかと思います。
『わたしの好きな歌』という話でこういうことが描かれているのですが、大人になってから偶然アニメで見てもう懐かしさもあったのですがそれ以上に「ああ、小学生の頃ってこんなんだったよな」という感じで泣いてしまいました。
さて、ちびまる子ちゃんを好きな人、
いや好きじゃない人にも是非読んでもらいたいのが『永沢君』という漫画です。
永沢君とは、ちびまる子ちゃんの登場人物であり、たまねぎ頭がトレードマークの男の子です。
暗く陰湿で、おそらくちびまる子ちゃん史上一番友達になりたくないヤツ、ナンバー1なのではないでしょうか。
そんな彼が主人公の漫画です。連載されていた雑誌も『りぼん』ではなく『ビッグコミックスピリッツ』。
そこから推測できるようにこれは少女漫画ではないのです。
まず主人公永沢君は中学生。思春期です。
相変わらず卑怯者といわれていた藤木くんと仲がよく、同じ中学校に通っています。
まる子は回想でしか出てきません。
まずこの永沢君はただのギャグ漫画ではないのです。
作者は女性なのに、すごく上手く中学生の男子を描いているのです。
まずクラスメイトの女子を”女”として意識している感じだったり、
ちょっと不良に憧れたり、
何もない自分に価値を見出せず、自分より頭の悪いクラスメイトを見て安心する感じだったり・・・
なんというか古谷実の『稲中卓球部』のような雰囲気が少しあるのです。
この漫画を通して永沢君のことを少しは好きになれるかな、と一瞬思えるのですが絶対にそうならないのが彼のいいところです。
もう一冊オススメしたいの漫画があります。
タイトルはズバリ『神のちから』。
この漫画を読んで作者のさくらももこは本格的にちょっとヤバイやつなんじゃないかと思ってしまいました。
説明しようにも説明しようがないのです。
執筆時期は、ちびまる子ちゃんの連載が始まってから三年後。
そこから約三年間の間に不定期に描かれた短編を集めたオムニバス集です。
不条理なんですが教訓も何もなくただあるのは、夢の断片のような短い話です。
彼女はおそらく特に芸術的な作品を描こうとかそういうスタンスではなく、ただ「ちびまる子ちゃんでは扱えないけど、なんか面白いもの思い浮かんじゃった」くらいの発想で描いているような気がします。
例えばこれがつげ義春の『ねじ式』のような前衛的で芸術的ですらあるシュール漫画として評価されてゆくのかと聞かれたら、決してそうではない気がするのです。
ただ単に面白いと思ったから描いただけで、実際見てるこっちとしては全然面白くなかったりするのですが、何かもうクスクス笑いながら勢いだけで描いている感じが良いのです。
馬に最高の走りをさせるには騎手がコースを指定するのではなく、騎手は自分自身の存在を消し、馬にも何も考えさせず、ただ走るべくして走る。そのコースがベスト。というようなイメージ。
筆の趣くままに描いている感じがベストなのです。
「作者にしか分からない自己満足の世界」という言葉ではくくり切れない何かがあるのです。
文章で説明しようと思っても出来ないのですが、とりあえず各短編のタイトルだけ乗せましょう。
神さまのうた
おたすけぶくろ(お助け袋)の巻
おっとのむだづかい(夫の無駄遣い)の巻
すごいへそをもつあめりかじん(凄い臍を持つアメリカ人)の巻
あたまがつぼになったら(頭が壺に成ったら)の巻
えいえんなるじんせい(永遠なる人生)の巻
あたらしいちから(新しい力)の巻
しりがうりもののおやじ(尻が売り物の親父)の巻
びっくりさんにむちゅう(ビックリさんに夢中)の巻
新れんさい! バカ山バカ太郎先生 バカ山先生けんざん!!の巻
のっとられたげんさん(乗っ取られた源さん)の巻
ばかでもやさしい(馬鹿でも優しい)の巻
とりあえずそうしきをしたいっか(取り敢えず葬式をした一家)の巻
おくられてきたひと(送られて来た人)の巻
なんでそうなったのかわからないひと(何で然う成ったのか解ら無い人)の巻
あたらしいじんせい(新しい人生)の巻
それてゆくかいわ(ソレて行く会話)の巻
かんげいされたおとこ(歓迎された男)の巻
れんさい二回目 バカ山バカ太郎先生 あやうしバカ山先生!!の巻
にしやまがいる(西山が居る)の巻
こんすたんちのーぷるのおもいで(コンスタンチノープルの思い出)
意味が分からないのですが、ただそのタイトル通りの話です。
好き嫌いが分かれるというか、はっきりいって何も思わない人がほとんどかもしれませんが、僕はこの漫画大好きです。
これを少し分かりやすくさせ、ファンタジーという世界観に持ってきたものが『コジコジ』だと思います。
コジコジも大好きです。
誰もが思う矛盾や不思議なことをコジコジが純粋に問いかけます。
さくらももこは少女漫画家という肩書きもギャグ漫画家という肩書きも、妙にしっくりこない。
逆にいうと、さくらももこの魅力はそこなのかもしれないです。