Archive for 4月, 2014

製作陣の溢れる原作愛 『ジョジョの奇妙な冒険』第三部 アニメ

月曜日, 4月 28th, 2014 | Permalink


僕が愛してやまないアクションサスペンス漫画『ジョジョの奇妙な冒険』の第三部が、4/4からアニメ化されました。
こちら中部地方では一週間遅れての放送となりますが僕も見ています。
第一部と第二部は去年放送されて、少し間をおいての放送開始となりました。

ジョジョの奇妙な冒険は、1987年から連載されている漫画で、歴史が長い分ファンもいろいろな人がいます。
連載開始当初からのファンもいれば、去年のアニメ化以降ファンになった人などいろいろです。
また、変化球でありながら王道を行くその独特な展開は、独特のファン層を生み、また一度掴んだ心を放さない大きな一因でしょう。
そのことからか、ファンは原作へのこだわりが強く、今回のアニメ化に関しても製作側は苦労したことでしょう。
 
僕も実際、アニメに関してはあまり興味がなく、ファンでありながらも一部は見逃し、二部も最後の方から見出した程度でした。
先述したとおり、ジョジョというのは独特な表現方法を使っており、キャラクターのポーズから、擬音、そして台詞も独特です。
その台詞が声で聞けるのは単純に嬉しかったです。
声優もキャラクターのイメージに合っていてすごく良かったです。
原作ではそんなに涙を流すほどのシーンじゃなくても、アニメだとその演技も相成ってすごく感動しました。

今回のアニメ化は、ジョジョシリーズの中でも最も人気の高いシリーズと呼ばれている第三部です。
まず、アニメ化が決定した際に公開したその作画に驚きました。
一部二部はアニメバージョンのような感じで原作の絵とは似ているけど違う感じだったのですが、今回は原作に忠実な絵柄です。
また、キャラクターの動きから、BGM、効果音の使い方、CGとアニメを組み合わせた作画などなど・・・かなりクオリティの高いアニメになっております。
 

 
オープニングは昔の特撮アニメ風のクサくて熱いメタル。
このオープニングアニメもかなり凝っており、その気合の入りっぷりから製作陣の原作愛が伺えます。
オープニング始まって最初に登場するのがジョナサン(一部の主人公)です。
(ちなみにジョナサンは三部では死んでいる為、登場しません)
その次にジョセフ(二部の主人公)、そしてその次に今回の主人公である承太郎が登場という構成は、原作のテーマである受け継がれる黄金の意志を象徴しているようでいきなり感動しました。
また、何気ないスタッフクレジットも動いており、このオープニングを製作した「神風動画」が一瞬「オラオラ動画」になったり芸が細かいです。
またサビのところでは、今までのジョジョには無かった仲間たちと協力して過酷な運命に立ち向かうという感じがすごく出ていて泣けます。
このオープニング、承太郎のスタンド(戦う精神が生み出す守護霊みたいなもの)のスタープラチナが、DIOの写るガラスを割って終わるのですが、ファンの間ではこの終わり方が四部への伏線なのではないかとささやかれています。
四部の主人公仗助のスタンド能力は「物を直す」能力です。
四部のオープニングではその割れたガラスを戻すところから始まるんじゃないかといわれているのです。
これほど芸の細かい神風動画です。もしかしたらそれも考えているのかもしれません。
 

 
みなぎる闘志を表すようなテンションぶち上げ系のオープニングと打って変わって、エンディングは旅の雰囲気を表したイメージです。
一部二部ではイエスの『ROUNDABOUT』で、ジョジョのその奇妙なイメージにぴったりだったのですが、今回はバングルズの『Walk Like an Egyptian』です。
三部は日本からエジプトへの過酷な旅をするのですが、その道中は意外と和気藹々としていてぴったりな曲だと思いました。
また作画のデザインも、ジョジョ三部連載当時によく使われていたサイケデリックな柄を基調としたものとなっており、まさに思い描いたジョジョのアニメって感じがして最高です。
 
このアニメはおそらく、2クール、1クール休憩を挟んで、2クール、の計4クールになるといわれています。
前半の和気藹々とした旅と、後半の悪夢のような展開とではイメージも変わります。
それに合わせて後半の2クールからエンディングも変わるんじゃないかとささやかれています。
 
 
僕はこんなにアニメを毎週楽しみに待つことは(子どものときから考えても)ありませんでした。
それほど楽しみにしています。
 
深夜アニメの視聴率ランキングではぶっちぎりの一位を記録し続けているそうです。
出来ればこの調子で、四部、五部、六部・・・と続いてほしいものです。

春に僕が聞きたい五曲

月曜日, 4月 21st, 2014 | Permalink


エーブックスタッフの水野です。

4月に入ってからも弱冠寒い日が続いていましたが、近頃はすっかり春らしくなってきましたね。
といってもここ二日くらいまた寒いですが。
ラジオからも春を感じさせる名曲のDJミックスが流れていたりして、何気なく僕も考えてみました。
というわけで、今日は(僕が)春に聞きたい名曲五曲を、いろいろなジャンルの中から挙げようと思います。
別に春の曲ってワケではないです。春に聞きたくなるという曲です。
 
まず、最初に春というのは暖かい気候で、曲調としては明るくハッピーなものがイメージされます。
しかし僕の中で春という季節にはどうもノスタルジックなものを感じるのです。
別に特定の思い出があるというわけではないのですが、何だかノスタルジックで”切ない”感じがするのです。
特に夜、バイトが終わり外に出ると「あれ、夜なのに暖かい・・・」みたいな感じになると何だかすごく切ないような気分になるのです。
夕方もそうです。学校から帰る時だったり、今考えると半袖や短パンだとちょっと寒いんじゃないかと思うのですが子どもの頃は関係なくそれを着ていて、自転車に乗って公園で遊んでいたことを思い出すのかもしれません。
また、桜の花が咲いては一瞬で散ってしまうことが象徴する儚さもあるのかもしれません。
そういうどこか切なさがあることを基準に選びました。
 
JPOP部門:MY LITTLE LOVER 『Hello,Again』
ロック部門:HANOI ROCKS 『11th Street Kidz』
昭和歌謡部門:キャンディーズ 『微笑みがえし』
ポップス部門:THE RUBETTES 『Sugar Baby Love』
オルタナティブミュージック部門:Blonde Redhead 『Top Ranking』
 
 
 

 
まず、一曲目はJPOPから。
これはもうダントツにMY LITTLE LOVERの『Hello,Again』でしょう。
僕はMY LITTLE LOVERについては何も知らなくて、曲も多分これしか知らないです。
しかし、これは誰が聞いても名曲だと言えてしまう曲であることは間違いないでしょう。
まずイントロが始まった瞬間、黄色く眩しい陽だまりのような光景が目に浮かび、何か花の香りがする下校って感じで、何ともいえない気持ちになります。
当然この曲はずっと昔から聞いたことのある曲でしたが、取り立てて「良い曲だな~」と感じたことはありませんでした。
しかし、ある時友人がこの曲をカラオケで歌っていたのを聞き、そのメロディの素晴らしさに度肝を抜かれました。
Aメロはまあ特に珍しくないようなバラード、Bメロもまあそんな感じで・・・と思ったらサビに入る前あたりから何だかすごい涙が出そうな感じになってくる。
サビが何だか弱冠メジャーコードなのかマイナーコードなんか分からないようなコード進行。
そのサビの後のCメロがやばい。何なんだこのメロディは・・・
メロディが上下するのですが、その到達点も着地点も毎回違う感じが何とも不思議な感じに聞こえます。
マイナーコードに降りたと思ったら、同じような感じに飛んだのに次はメジャーコードに乗っている・・・
僕の知っているロックという音楽はそんなにメロディが動かない。
こういうのは所謂JPOP特有のメロディだと思います。海外のポップスとは全く異質なのです。
 
 

 
二曲目はロック。フィンランドのハノイ・ロックスというバンドです。
このバンドについては以前ブログでも紹介しましたが、僕は春といえばこのバンドです。
この曲は冷たくない暖かい春の風が吹きぬけるようなイメージです。
春と言うのは時として青春を思い起こさせます。この曲はすごく青春!って感じがします。
曲が始まった時と、曲が終わった時の、曲に対する印象が全く異なる曲だと思います。
Aメロはメジャーコードの暖かい感じですが、サビはちょっと切ない感じ。
そのAメロとサビの間の間奏で「ウォ~~」って叫ぶ感じが何とも春って感じで最高です。
 
 

 
三曲目は昭和歌謡で、キャンディーズの『微笑がえし』。
ベタといえばベタですが、キャンディーズのイメージが既に僕の中では春という感じ。
この曲は特にマイナーコードに転調したりすることもなく、それほど”泣きのメロディ”というものはないのですが、それでもこれほどの温かさと儚さを表現できるのはさすがキャンディーズ。
この曲はキャンディーズ最後のシングルで、この曲の歌詞には今までのシングル曲のタイトルや歌詞が随所に散りばめており、それも最後って感じがしてとても切ないです。
 
 

 
四曲目はポップス部門。ルベッツのシュガーベイビーラブです。
これもベタといえばベタですが、春に聞きたくなる曲です。
朝起きても全然寒くなく、目覚めも良い。カーテンを開けて、窓も開ける。
そうすると窓際にいた小鳥たちがいっせいに飛んでゆく。
眩しい朝焼けに何故だか喜びを感じる・・・そんな光景が目に浮かびます。
 
 

 
五曲目はオルタナティブミュージック部門。
僕らが思い浮かべる春というイメージは日本独特のものなのかもしれません。
春のゆったりとした暖かな雰囲気に、アメリカのニューヨークのアンダーグラウンドみたいな都会的なオルタナティブロックというのはあまり合いそうにありません。
そういった意味では、このBlonde RedheadのTop Rankingという曲はザ・オルタナ音楽!でありながら、日本の春という季節合っている気がするのは不思議に思えます。
何だか、暖かい室内にずっといて、そこから外へ出て息を吸っても冷たい空気が入ってこない感じというのでしょうか、空気が弱冠生暖かいのが少し違和感な感じ。
その瞬間に春を感じたりしますが、もう何年も生きてきて、何年も経験することですが、それは少し異様な感じがします。
太陽の下の春もいいですが、夜の春は何だか切ない気がします。
寒くなくて外に出られるので、出たくなるのです。何か花の匂いもするし。
家に帰るのがもったいないのですが、帰るしか仕方が無いような。
この曲に関しては、今挙げた四曲とは少し意味合いが違ってきますが、何だか春に聞きたくなる一曲の一つです。
 
 
僕の独断と偏見で選んだよく分からない選曲ですが、よかったら聞いてみてください。
 

ファンの数だけ敵もいる・・・松本人志という男

月曜日, 4月 14th, 2014 | Permalink


エーブックスタッフの水野です。

少し前の話題になりますが、テレビ番組『笑っていいとも』が最終回を迎え、
その日の夜に生放送された『感謝の超特大号』では、
タモリ、明石家さんま二人によるフリートークの最中に、
ダウンタウンとウッチャンナンチャンが乱入するという一幕がありました。
そこに、とんねるず、ナインティナイン、爆笑問題が立て続けに登場し話題となりました。
 
特にダウンタウンととんねるずは長年、不仲説が囁かれており、
その共演は何十年ぶりのものとなりました。
ダウンタウンの松本人志は以前ラジオで、とんねるずとは特に何かあったわけではなく、
ただ、西のダウンタウン、東のとんねるず、とメディアがライバル扱いし、
その関係性が一人歩きし、ずっと共演が無いまま今に至っただけと言っていました。

今回の共演に対して松本人志は、
「みんな楽しんでもらえたみたいなので、良かったなと思ってるんですけどね。ああいうのをみんな待っていたのかな。ピリピリした、ハラハラするドキドキ感覚みたいなものを」と語っているようです。

松本人志は、長年テレビのバラエティというものに対して疑問を持ち続けているお笑い芸人です。
『ごっつええ感じ』の最終回が有名ですが、彼は「テレビは薬にも毒にもならないようなものになっていっている」「今のバラエティは(視聴者に悪影響が無いから)クイズ番組しかない」などテレビ業界への不満が多く、彼が映画の製作に着手したのも表現の媒体をテレビから映画に移そうと思ったかららしいです。
また、デビュー当時の漫才を見た横山やすしが「(漫才じゃなくて)ただのチンピラの立ち話」と叱責したというエピソードもあり、彼は既存のものではなく人々が見たことも聞いたことも無いようなものを作りたいという姿勢をもった人です。
 
僕は小さい頃から『ごっつええ感じ』を見て、この人は最高に面白いな、と思っていました。
今でも勿論そう思います。彼の口から出る言葉が一つ一つが面白いのです。
トークや漫才も面白くて好きなのですが、特に彼の作るコントは、
くだらないけど奇妙な設定、シュールともちょっと違う絶妙な空気感、そして全面的に漂う哀愁・・・そういったものが感じられすごく好きです。
 
特に彼がビデオで発売した『ビジュアルバム』というコント集がすごく好きです。
ここには彼の新しいものを作ろうというスタンスが大きく表れており面白いです。
ちなみに僕は、その中でも『マイクロフィルム』というコントが一番好きです。
 
 
また、彼の笑いには、相方の浜田雅功もそうですが、
放送作家の高須光聖の存在も大きいと思います。
彼はダウンタウンとは小学生からの仲で、ダウンタウンの番組をいくつか書いています。
『ごっつええ感じ』もそうでしたが、現在でも放送されている『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで』でも彼の存在感が際立っています。
おそらく子どもの頃から一緒に笑いあっていた仲なので、ダウンタウンの笑いを最大限に引き出せるのだと思います。
特に松本人志と高須光聖のラジオ番組『放送室』は彼らの幼少時代の話があったり、彼ら二人にしか分からないような笑いなどは多いものの、とても面白かったです。
この高須光聖のトークはどこかお笑い芸人のトークとは少し違い、
(勿論いい意味で)面白い親戚のおじさん的な感じで僕はすごくハマりました。
特に笑わそうとするスタンスではなく、どちらかというと聞き手側なのですが、自身がむちゃくちゃ笑ったことを話すだけという感じがすごく面白かったです。
僕は松本人志もそうですが、この高須光聖という男の笑いも好きなんだなと思いました。
またいつか復活してほしいです。
 
松本人志は、どちらかというと頭が固く、発言も過激で、
ファンの数だけ敵もいる、というイメージの人です。
昔から今でも問題視されている彼ですが、特に最近では、
(それが面白いのかどうかはよく分かりませんが)笑い以外のことをお笑いで表現しようとしている姿勢がすごく感じられます。
しかし、いつでも彼の発言一つ一つには声を出して笑ってしまうのはやっぱり、彼の笑いが好きなのかなぁと思います。
 

思い描いた冒険がここにある 『ドラゴンズドグマ』

月曜日, 4月 7th, 2014 | Permalink


エーブックスタッフの水野です。
先日、『ドラゴンズドグマ』というゲームを今更ですがクリアしました。
しかもダークアリズンではなく、初期の無印版です。
 
このゲームは、海外から輸入された人気ジャンル、オープンワールドRPGを、
日本のカプコンが作ったという和製オープンワールドRPGなのですが、
かなり良かったと思います。
といっても僕は、オープンワールドRPGはダークソウルを少しやってみてあまりの難易度の高さに投げ出してしまい、それ以降、スカイリムもやってないというライトゲーマーなのですが。
 

 
まずカプコン製作ということで、アクションが非常に良いです。
爽快感があるのは勿論ですが、適度に動きが重く、大きい武器はちゃんと重量感が伝わってくる。
巨大なモンスターにしがみ付いて戦うのも良かったです。
 
その巨大なモンスターと鉢合わせたときの何ともいえない緊張感をちゃんと煽るBGMによる演出も良かったです。
 
RPGの定番であるステータス異常をアクションにした時、
どういう演出になるのか気になりましたが、非常に良かったです。
攻撃が当たりにくくなる暗闇状態は、画面にモヤがかかったような感じで、時折うっすら見えたりする。
石化には感動しました。石化の攻撃を受けるとキャラクターは徐々に石になってゆくのですが、
かかった最初は少し動きが遅くなった程度なのですが、段々と体が石になっていき、攻撃がままならなくなる。
そして最終的に石になるのですが、この時、ちゃんと最後のポーズで固まるのです。
攻撃中のポーズだったり、ジャンプ中のポーズだったり、それが何とも悲惨な感じで良かったです。

このゲームはオンラインなのですが、協力プレイなどはなく、
あるのは『ポーン』と呼ばれる”従者”を貸し借り出来るというだけ。
僕はゲームをやるのは好きな時間に好きなだけマイペースにやりたいのでこれは非常にありがたかったです。
変に気を使う必要がないというのが、オンラインゲームをやる敷居を下げてくれて良かったです。
自分のポーン(従者)が人に借りられて戻って来たときは、
親のような気持ちで「お前、よく頑張ったな~」なんて思ったりしてしまいました。
 
このゲームは主人公とポーンの容姿をエディットでき、それに装備品によってキャラクターの容姿が変わり、また、その装備品もジョブによって違い、そのジョブごとにパラメーターの成長率も違うので、自分好みのキャラクターを作ることが出来ます。
そのことによって自然にキャラクターへの愛着が沸いてくるのです。
 
特にポーンが可愛くてしかたないのです。
自分が「HELP!」と叫べば突進して助けてくれたりするのですが、
逆に「うわぁ!助けてください!」と叫ばれたりするものだから、
もう助けないわけにはいかないですよ。
というのも、ちょっと気持ち悪い話ですが、主人公の顔や体系を僕で作って、
そのポーンの顔や体系を、その(ゲームを始めた)当時付き合っていた彼女にしたものですから、愛着は倍増でした。
しかも設定できる声の中でも弱冠似ているのがあり、
別れてしまった今となってはかなり切ない部分がありましたが。
 
 
ストーリーも良かったです。(以下ネタバレをしてしまう気がするので注意)
初見は、昔の王道RPGにあるような凶悪なドラゴンを倒すために旅に出る、といった単純なものだと思っており、
それを現代のクオリティで、現代の感覚で作ってみた、というようなことなんだと思っていました。
しかし、物語を進めるうちにこれはちょっと違うぞと思えました。
弱冠、宗教的というか、仏教的というか、キリスト教なのか?
ちょっと勉強不足で上手く説明は出来ないのですが、
エンディングを迎えた時は、こういうことだったのか・・・!とちょっと鳥肌が立ちました。
もう言ってしまいますけど、主人公は最終的に神となり、永遠の時を生きねばならず、
最後には自らの手で死ななければいけません。
自分で持ち物の中から聖剣(リディル)を選択すると、主人公が自分の胸に剣を突き立てます。
そして、□(攻撃)ボタンを押すと、自分の心臓に突き立てるのですが、
これをイベントムービーで済まさず、そういう手順を踏んで”自分でやる”ということに意義を持たせたのが非常に良かったです。
主人公が自ら心臓に聖剣を突き刺すと、雲のようなその床にぽっかり穴が開き、主人公は天から落ちてゆきます。
それをポーン(従者)が追いかけて一緒に落ちるのです。
いつも一緒に旅をし、共に倒れ、共に立ち上がったポーン(従者・・・というか僕の場合元カノですね)が、
「マスターァァァァ!」と叫びながら一緒に落ちてゆく様には泣けました。
 
 
そのシーンが非常に印象的でしたが、
一番良かった場面はやはり、因縁のドラゴンとの決戦です。
物語の冒頭、ドラゴンと対峙した主人公はそのあまりに凶悪で強大なドラゴンを前に手も足も出ませんでした。
それから、困難な旅を続け、数々の戦いを経て、主人公は強くなり、再びドラゴンと対峙します。
しかしまあ如何せんサイズがデカすぎるのです。
体長20mくらいはあるでしょうか、もっとかもしれません。
とりあえず自分がドラゴンの手のひらに乗るくらいのサイズなので相当なものです。
 
決戦の場であるその搭の中で主人公は戦おうとしますが、その圧倒的な大きさに搭が崩れそうです。
主人公たちは無我夢中で逃げ、屋上に上っていきます。
屋上に設置してあったバリスタ(弓の砲台)で、飛んでいるドラゴンを撃つとドラゴンは怯みます。
そして、主人公は一人で屋上から思いっきり飛び降りて、ドラゴンにしがみ付きます。
当たり前ですが、落ちたら死にます。
尻尾からゆっくりと頭の方へ上っていき、急所である首の後ろ辺りに剣を突き立てます。
ドラゴンはもだえ落ちてゆきます。
そして、最終決戦である荒野へ。
バリスタもないし、しがみ付いて急所を狙える状態ではない、正真正銘の決闘です。
その時、自分の横にふとポーンが降り立つのです。「運命はマスターと共にします」といわんばかりに。
なんというか、特にそういう演出は無かったのですが、この瞬間がたまらなく泣けたのです。
心細くないというか、この戦いは一人で背負っているわけなんじゃないんだと思える感じが最高なのです。
 
 
現在、クリアして二週目が始まりました。
レベルやアイテムなどを継承してもう一周できるのですが、
この二週目があるということも物語においては重要なことになっているのです。
 
 
このゲーム、現在では中古ならかなり安く手に入るのではないでしょうか。
僕も一年前くらいに買いましたが、かなり安く買った記憶があります。
アマゾンのレビューなどを見ると、高評価のコメントも多いのですが、
「オープンワールドなのに世界が狭い」「かゆいところに手が届かない」
など低評価も多いです。
 
僕はかなり満足しました。
そんないろいろなゲームをやっているわけではないのですが、これは名作だと思いました。
ドアーズのジム・モリソンが好きな僕です。
こういうちょっと神秘主義的な展開に僕は弱いのかも知れません。
 
僕は特に宗教に興味があるわけでは無いのですが、
仏陀やイエス・キリストなど、”ある境地に行き着いた一人の人間の考え”としては興味があります。
少しずつですが、そういうことも勉強していきたいと思います。
このドラゴンズドグマの物語はそういう物語だったのです。

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