Archive for 3月, 2014

悲しみを背負った正義の怪人、仮面ライダー

月曜日, 3月 31st, 2014 | Permalink


石ノ森章太郎原作の仮面ライダーの新作劇場版に、
初代である仮面ライダー一号の本郷猛役を務めていた藤岡弘、が出演するそうです。

平成ライダーに「お前のようなひよっこを、ライダーと認めるわけにはいかん!」と叱責し、昭和ライダーたちを引き連れた彼は平成ライダーたちの前に立ちはだかります。
 

 
僕も幼い頃は、ご多聞に漏れず、仮面ライダーを見て育ちました。
ウルトラマンより仮面ライダーの方が好きで、
中でも仮面ライダーBLACKが一番好きだったと記憶しています。

平成ライダーシリーズを製作してきた白倉伸一郎は、
仮面ライダーの人気の秘密を”リアリティ”だと語ります。
何でも仮面ライダーは元々低予算で作られた特撮だったそうで、
撮影セットを用意する予算を節約する為に、実際の街で撮影されたそうです。
そのことにより、実際に僕が住んでいるこの街にも実はショッカーがいるんじゃないか、
仮面ライダーはバイクでどこかを走っているんじゃないかと思えたり、身近な存在に感じられたことがヒットした理由だと語っています。
 
ライダーが対峙する敵も、ウルトラマンのような壮大な宇宙の怪獣たちではなく、
地下世界に作られた政府転覆を目論む秘密結社なのです。
その辺りも、実際にありそうで(あったりするのかも知れません)、恐ろしく感じられます。

仮面ライダーの原作は石ノ森章太郎です。
僕はやはり石ノ森章太郎は悲しみを描く漫画家だと思います。
サイボーグ009でもそうですが、仮面ライダーもそうです。
仮面ライダーは悪の組織ショッカーに怪人に改造させられた男です。
しかし、脳を改造される前に脱走した為、人間の心を持った怪人となったのです。
そして、彼は「人間の自由のため」にショッカーと戦うことを決意するのです。

 
石ノ森章太郎が再び原作を担当した1989年の仮面ライダーBLACKでは、
その悲しみが更に強調されています。

主人公の南光太郎とその親友の秋月信彦は暗黒結社ゴルゴムに拉致され、
二人とも怪人バッタ男に改造されてしまう。
しかし、南光太郎は脳改造を受ける前に、秋月総一郎の手引きにより脱出するが、
親友の秋月信彦はそのまま取り残されてしまい、脳改造されてしまう。
そして、南光太郎は親友である秋月信彦と戦わなくてはいけなくなってしまったのだ。

この仮面ライダーBLACKは仮面ライダーの原点に立ち返るというテーマであり、
当初は仮面ライダー0号と仮名が付けられていたそうです。
その原点とは初代のテレビシリーズである仮面ライダー一号ではなく、
石ノ森章太郎原作の仮面ライダーのことです。
仮面ライダーのデザインもスカーフや手袋を付けた人工的なものでなく、
生物的なデザインになっていています。
そして変身する際には、一度グロテスクなバッタ男を経て、仮面ライダーになります。
彼はヒーローなのではなく「怪人である」ことを強調させているのです。
僕は仮面ライダーBLACKのこのシンプルなデザインが非常に好きです。
なんというか洗練されていてクールで、余計なものを取っ払ったスマートなフォルムがすごくかっこいいのです。

仮面ライダーのモチーフといえば主に昆虫が多かったのですが、
今やっている仮面ライダー鎧武は、フルーツがモチーフにされています。
フルーツは今までに無いモチーフだったので採用したそうで、
何故フルーツなのかは謎ですが、最初見たときは仮面ライダーとは分からず何か他の特撮戦隊ヒーローなのかと思ってしまいました。
僕は内心「流石にこれはコケるんじゃないか・・・?」と思っていたのですが、
蓋を開けてみると大人気。
僕の感覚が既に若くないのかと疑ってしまいました。
前回、文房具屋で働いていると未だにドラゴンボールの商品を求められるという話をしましたが、この仮面ライダー鎧武も大人気です。
 
平成ライダー以降は、原点回帰は行われていないです。
(仮面ライダーWは設定、デザイン的に昭和ライダーを意識したものだったそうですが)
現代のクオリティで監督を、三池崇史とかにやらせて、
原点回帰したシリアス路線の仮面ライダーが出来たらすごく見てみたいです。
 

鳥山明の魅力

月曜日, 3月 24th, 2014 | Permalink


エーブックスタッフの水野です。

先日『ドラゴンボールZ 神と神』がテレビでやっており視聴し、
何とも懐かしい気分になりました。
ドラゴンボールといえば、僕が小学校1,2年の頃に既に、
テレビアニメの方で最終章である魔人ブウ編に入っていたので、
おそらくドンピシャ世代というわけでは決してないのですが、非常に記憶に残っています。

僕は現在、文房具屋でもバイトをしているのですが、
未だに「ドラゴンボールの文房具はありますか?」と聞かれることが多々あります。
1995年に連載終了を迎えてから約20年経った今でも、
子どもたちからは熱狂的な人気を持っているのだと驚かされました。
 
僕が幼稚園から小学校に上がる頃は、
男の子はドラゴンボール、女の子はセーラームーン、でした。
少数派で幽々白書とかも人気でしたが、やはりドラゴンボール人気は圧倒的でした。
 
今回の劇場版を見ても思ったのですが、
ドラゴンボールとは、キャラクターの魅力が圧倒的な漫画なのでしょう。
子どもの頃すごく好きだったとはいえ、ストーリーはあまり覚えていませんでした。
ただキャラクターはずっと覚えていました。
 
僕の頃でいうドラゴンボールの位置には、
現代の子にとってはワンピースがあることでしょう。
この二つの漫画、主人公も似たようなタイプですし、比べられがちなのですが、
僕は対照的だと思います。
漫画の見せ方が違うと思うのです。
漫画の展開の仕方としてはワンピースの方が圧倒的に巧みです。
これが伏線になっていたのか!ここでこいつが出てくるのか!あの時のあれが今これなのか!
といったような、巧みなシナリオで、子どもだけでなく、大人も唸らせる漫画であり、
ワンピースとは、読者に鳥肌を立たせる漫画だと思います。
長期連載を見据えた構成(勿論、後付のものもあるでしょうが)で、
そこからは作者の自信を垣間見ることも出来ます。
まさに週間少年ジャンプの三大原則「友情・努力・勝利」を感じさせる王道少年漫画だと思います。
 
一方ドラゴンボールは、今挙げた”巧みなシナリオ展開”というのは無いです。
行き当たりばったりの展開であり、物語を通してのテーマも特に感じられません。
(確か作者の鳥山明は一巻のコメント欄で「行き当たりばったりで描いていこうと思います」と明言してましたし)
中期以降は冒険漫画からバトル漫画に変わりましたが、キャラクターの力関係は早々と破綻します。
 
しかし、ドラゴンボールは何故ここまで人々の心を掴んで放さないのか・・・?
 
以前の記事でも書きましたが僕は漫画家を目指していた時期があるせいか、
純粋な読者の目で漫画を読むことが出来ず、どこかで作者側というか、勉強する目で見ているところがありました。
そういった目で見ているとドラゴンボールは絵の見せ方が圧倒的にすごいのです。
これぞ漫画!といわざるをえないような絵なのです。
キャラクターの動きが見えるのです。スピード感だったり爽快感が、見事な描写は勿論、コマ割りの見事な構図で表現されています。
またキャラクターのデザインも群を抜いていると思います。
人間は勿論、人間以外のキャラクターも素晴らしいです。

というのも、鳥山明はもともと漫画ではなく、デザインを志向していた人でした。
広告会社でデザイナーとして働いていたが、好きでもない絵を描くのに嫌気が指し、
またそもそもそうやって会社で働くのが嫌いな為、
どうにかもっと好きな絵を描いてお金が欲しい、ということから漫画家になったそうです。
 
彼の初の長編であるドクタースランプの頃は特に、デザイナーとしての絵だったと思います。
ドラゴンボール連載時にキャラクターデザインは(時代の為か)筋肉隆々のいかにもバトル漫画と言った感じへと段々変わっていきますが、それでも他とは違うデフォルメされたデザインとしてのキャラクターだったと思います。
ドラゴンボール連載終了後はまた彼らしい絵柄に戻り、更に磨きが掛かり、
鳥山明の絵柄が完成されたような気がします。
ちなみに僕はドラゴンボールの頃より、その後の絵柄の方が好きです。
 
sandland
 
2000年前後に描かれた『COWA!』『カジカ』『SAND LAND』は大好きな漫画です。
特にSAND LANDが一番好きで、ストーリーも面白くて色んな漫画を読んだ今でもお気に入りの漫画です。
“ジジイと戦車”の漫画を描きたいというところから始まっていて、
主人公のベルゼブブは悪魔の子ども、そしてその仲間二人はジジイです。
昔から機械の絵は得意だった彼でしたが、ここでもその技量が存分に発揮されています。
趣味に走っているといえば、思いっきりそうなのでしょうが、
それでこそ彼の魅力が最大限に引き出されている気がしてすごく良かったです。
 
彼が絵を描き始めてから随分と時間が流れましたが、
一目で彼の絵だと分かるその絵は今ではオリジナルとして確立されました。
この先、彼がどんなものを描いてくれるのかまた楽しみです。

テレビドラマ『宮本武蔵』の意外な展開・・・

月曜日, 3月 17th, 2014 | Permalink


スタッフの水野です。
 
僕の好きな漫画の中にバガボンドという漫画があるのですが、
そこから宮本武蔵という人間に興味を持ちました。
 
ちょっと前からテレビで宮本武蔵のドラマのCMが流れていて、ちょっと気になっていました。
その宮本武蔵を演じるのは木村拓哉。
正直、僕は期待と不安は半々でした。
 

 
2003年(もう11年前なのか・・・)に大河ドラマで『武蔵 MUSASHI』がやっていて、
その時は市川海老蔵(当時は市川新之助)が演じていまして、
彼の迫真の演技が、武蔵の破天荒なイメージに上手くあっておりました。

今回のキャスティングは全体的に原作の吉川英治のイメージより、
井上雄彦のバガボンドのイメージの方が近かったように思えました。
特に長年、武蔵のライバルであった吉岡家の二代目当主、吉岡清十郎が松田翔太というのはまさにバガボンドのあの吉岡清十郎を意識したものだと思います。
原作はどちらかというと厳格な感じの剣士でしたし。
 
かといってバガボンドにより過ぎているわけでもなく、
佐々木小次郎はどちらかというと正当な”謎の剣客”みたいなイメージだったと思います。
沢村一樹なのは意外でしたが、これが意外にも良かったです。
沢村一樹は身長も高く、スタイルも良いので、やはり様になっていました。
殺陣も良かったです。ちゃんと佐々木小次郎の魔剣「燕返し」を駆使していましたし、
何より華麗でした。しかも体がデカイからちゃんと強そうに見える。
 
小次郎の剣が良すぎたばかりに、武蔵の剣がイマイチ強そうに見えなかったですが、
おそらく武蔵の殺陣と小次郎の殺陣には差別化が図られていて、
小次郎の華麗な剣に対する、武蔵の野蛮な剣みたいな動きだったのでしょう。
 
 
地上波のテレビドラマなので、宮本武蔵のサクセスストーリーだったり、
武蔵とお通とのラブストーリーになるような気はしていましたが、
これは意外や意外な方向になっていきました。
 
宮本武蔵という人物自体がそういわれているので、
逆に言ったらこうなる展開を意外というのはおかしいのかもしれませんが、
物語の後半辺りから急に、仏教だったり人間の境地みたいな話になっていき、面白かったです。
 
最後の武蔵と小次郎の戦いはかなり良かったと思います。
 
名声や出世、そういったものの為の戦いではなく、
「その先に何があるのか知りたい」
という簡単な言葉で言うと好奇心ですが、
人間の境地を見るために戦うということが明確なテーマとなっていました。
 
その戦いは終始、静かな感じなのですが、
アドレナリンが出まくっているかのような演出で良かったです。
 
戦いの途中に、小次郎が武蔵にこう尋ねます。
「何か見えたか?」「分からん」
その会話が非常に印象的でした。
このドラマはこの台詞を最後に、そのあと何の説明もありません。
 
武蔵は小次郎の頭をかち割り勝利します。
その後、無言の武蔵の顔がアップになるのですが、
その表情(演技)が何ともいえないくらいに良かったのです。
期待と不安の両方を持っていた木村拓哉のキャスティングですが、
このシーンで、良かったな、と思えました。
 
何か先が見えたような表情にも見えましたし、
何もなくなったような表情にも見えたのです。
 
 
バガボンドの中で僕がかなりお気に入りの話で、
佐々木小次郎が関ヶ原の合戦跡で残党と戦う話があるのですが、
小次郎は猪谷巨雲という落ち武者と戦います。二人とも剣に取り憑かれた鬼です。
二人とも精神的にも肉体的にも限界がきており、殺さねば死ぬ、という極限の状態です。
しかし、斬り合う二人は次第に笑顔になってゆくのです。
言葉にするのは難しいですが、
この斬り合いの数分間、いや数秒間で、彼らは親友のようになるのです。
巨雲は「俺たちは抱きしめ合う代わりに、こうやって斬り合うんだな」と悟ったような気持ちになり、死にます。そして小次郎は泣くのです。
 
このテレビドラマの『宮本武蔵』の武蔵と小次郎は、
こういう奇妙な友情を覚えていたのだと思います。
二人とも剣の天才で、彼らは二人とも天下無双と謳われいました。
そんな二人が初めて、心から打ち解けられるような”対等”な存在に出会ったような感じなのです。
しかし、その二人は、抱きしめ合う代わりに斬り合うのです。
 
先ほど書いた、このドラマで武蔵の最後の表情が、
何か先が見えたような表情にも見えるが、何もなくなったような表情にも見えるのは、
そう思ったからかもしれません。
 
 
勿論、僕は命を懸けた死合い(試合)をしたことないですが、
人間の意識が膨張した先には、宇宙のビッグバンのように何かがあるのかも知れません。
 
 
改めて、宮本武蔵とは変わった人物だったんだなと思いました。
野蛮な面もあれば、策士の面もある、殺人鬼の顔もあれば、哲学者の顔もある。
すべてが彼自身による創作かも知れませんし、本当に奇妙な人間なのかも知れません。
これを機に、改めて彼について調べてみたくなりました。
 

シャイニング・スターとはまさに彼のこと、マイケル・モンロー!

月曜日, 3月 10th, 2014 | Permalink


スタッフの水野です。

主に海外のハードロックやヘヴィメタルを中心に扱う音楽雑誌『BURRN!』において読者から募集されていたアーティストの人気投票が集計され、その結果が2014年4月号にて発表されました。
表紙は、今でこそヴィジュアル系と間違われそうな、初期のモトリー・クルーのベーシストでありリーダーでもあるニッキー・シックス。
その投票結果の中でも僕が嬉しかったのは、SHINING STAR(年間最も輝いていたミュージシャン)部門にて、Michael Monroeが一位になったことです。

Michael Monroeはフィンランド出身のミュージシャンであり、
Hanoi Rocksというバンドでボーカルをしていました。

ハノイ・ロックスは1980年にフィンランドで結成され、イギリスでも認められ、
1985年、やっと念願のアメリカデビューを果たそうとアメリカに行った途端、
メンバーの事故死により解散します。
そして2001年には、ボーカルのマイケル・モンローと、ギターであり作曲をしていたとアンディ・マッコイ以外のメンバーを一新し、再結成を果たしました。
しかし、2008年には二度目の解散をしました。
 
 
バンドマンや音楽好きの間では、中学から高校の頃に最も聞いた音楽が、
その人の音楽人生における一つの大きな柱というか根っこのようなものになる・・・
と言われたりします。
そう考えたときに僕の中ではこのハノイ・ロックスがまさしくそれだったと思います。
僕はこのハノイ・ロックスというバンドがこの人生史上おそらく一番好きなバンドだと言えるでしょう。

ハノイ・ロックスは日本でも女性を中心に人気があり、『たけしの元気が出るテレビ』でCM明けのSEに曲が使われたり、NHKの音楽番組『レッツゴーヤング』に出演していたり、本田恭章へ楽曲を提供したりと、日本では何かと縁があるようです。
ちなみにレッツゴーヤングに出演した日を調べてみると、何と三回も記録が残っていました。

1983/02/20
『サウンドスパーク! 熱唱 明菜 聖子』
松田聖子 / 中森明菜 / 少年隊 / 西城秀樹 / 河合奈保子 / 榊原郁恵 / ハノイ・ロックス / 鈴木雄大 / 太川陽介 / 石川ひとみ / サンデーズ / 小林亜星
 
1983/04/03
『リクエストショー』
田原俊彦 / 松田聖子 / 小泉今日子 / 少年隊 / 堀ちえみ / ハノイ・ロックス / シブがき隊 / 松本伊代 / シャカタク / 中森明菜 / 近藤真彦 / 太川陽介 / 石川ひとみ / サンデーズ
 
1984/06/10
『アイドル豪華ヒット版』
近藤真彦 / 松本伊代 / 岩井小百合 / 桑田靖子 / 高田みづえ / 森尾由美 / ハノイ・ロックス / 杉山清貴とオメガトライブ / 太川陽介 / 石川ひとみ / サンデーズ
 
 
 
僕は確か小学五年の頃、クイーンのボヘミアン・ラプソディを聞いて、
その圧倒的な世界観に衝撃を受け、それがロックという音楽に目覚めました。
それから二年後くらいでしょうか、ハノイ・ロックスを聞き、別の衝撃を受けた気がしました。
クイーンはメンバー全員がそれぞれかなりの腕前を持っており、メインボーカルのフレディ・マーキュリーの歌声はパワー、安定感、キーの広さ、どれをとっても圧倒的ですし、ギターのブライアン・メイのギターはハンドメイドの完全オリジナルのギターで、聞けばスグに彼の音だと分かるような特徴的な音色で、また津軽三味線に影響を受けた早弾きは後のヘヴィメタルにも大きな影響を与えたことでしょう。
クイーンとはそんな完璧なバンドなのに対し、ハノイ・ロックスどこをとっても下の上ぐらいのレベルだったと思います。
(今思えば音楽聞いたことのない少年がどうしてクイーンとハノイ・ロックスが好きになったのか意味が分からないな・・・)
 
しかし、そんなハノイ・ロックスは僕にとって憧れるバンドだったのです。
雲の上の存在だと思っていた海外のロックという音楽が、もっと身近に感じられたのかもしれません。
その頃、丁度ハノイ・ロックスは再結成をして、過去のアルバムを聴くことしか出来なかった楽しみ方ではなく、新しいアルバムの発売を待つという楽しみも出来ました。
しかし、蓋を開けてみると、チープだった音がハードになり、なかなか好きになれませんでした。
解散前の所謂、黄金時代のハノイ・ロックスの音楽が好きだったのです。
中学時代はもうハノイロックス一色ってなぐらいにドンはまりしたのですが、
それから色んな音楽を知り、高校を卒業するくらいからは次第に離れていきました。
即興音楽やアバンギャルドな音楽を覚えた僕は、ハノイ・ロックスとは何てインチキ臭くてクダらない音楽だったんだろうと思いました。
 
それから約七年くらい経ちますが、今思うとそういうアバンギャルドな音楽は結局、逆算で見出したアイデンティティであったのかなと思います。

久しぶりにハノイ・ロックスの再結成後のアルバムを聞いて驚きました。
カッコよすぎて泣けるのです。
僕が思うハノイロックスの良さとは、メンバーのルックスとかは勿論ありますが、
一番はギターのアンディ・マッコイが作るメロディセンスです。
“泣きのメロディ”という表現がありますがまさにそれなのです。
ドラマチックでロマンチックでパセティックな雰囲気は、
どこかしら昭和歌謡を彷彿とさせます。

僕が思う、至極のアンディ・マッコイのメロディは『Cafe Avenue』という曲です。
メロディの流れが美しすぎるのです。二番のサビ後のCメロが最高に切なくて大好きな一曲です。
 

 
 
また、ハノイ・ロックスはメロディもさることながらその来歴も切ないのです。
特にマイケル・モンローの人柄も好きです。
 
ハノイ・ロックスは1980年にフィンランドで結成されます。
結成時のメンバーは、マイケル・モンロー(ボーカル)、アンディ・マッコイ(ギター)、ナスティ・スイサイド(ギター)、サム・ヤッファ(ベース)、ジップ・カジノ(ドラム)です。
アンディはハノイ・ロックス結成前から既にミュージシャンとして活動していましたが、そのほかのメンバーは、貧乏で住む場所が無く、時々女の家に転がり込む時以外は、ホームレス生活をしていたような家出少年たちでした。
バンドの練習をするにもお金が無いから、
夜中に地下鉄のホームに侵入して、そこで勝手に電力を使っていたらしいです。
そんなどん底の状態からスタートした彼らですが、意外とその成果は早く見られます。
 
結成した翌年1981年には1stアルバム『Bangkok Shocks Saigon Shakes』を発売し、その翌年1982年には2ndアルバム『Oriental Beat』が発売され、そのアルバムはフィンランド国内で一位を記録します。
その約半年後にはバンドのデビュー前の曲を集めたこんぴレーションアルバム『Self Destruction Blues』を発売し、これも一位を獲得。
 
この頃からバンドはイギリスのロンドンへ拠点を移します。
そしてイギリスでラズルというドラマーと出会い、そこでバンドのノリについていけなかったジップ・カジノが脱退し、ラズルが加入します。
 
翌年、1983年に3rdアルバム『Back To Mystery City』を発売し、順調な活動を進めます。
そして、1984年にメジャーレーベルCBSレコーズと契約し4thアルバム『Two Steps From The Move』をリリースします。
このアルバムを引っさげて、ついにバンドはアメリカ進出を果たします。
 
アメリカに渡ったバンドは、全米クラブ・サーキット・ツアーをスタートさせます。
メンバーはインタビューで「過去最高の出来だった。悪かったショーなんて一回も思い出せない」と語るほど大盛況のツアー。
ボーカルのマイケルはライブ中に、アンディと衝突し、足首を捻り骨折しますが、
その後もケガを庇い痛みを堪えながらツアーを続けます。
しかし、ケガは悪化し、ドクターストップが掛かり、予定のスケジュールはキャンセルになってしまいます。
 
その間、アメリカで意気投合したバンドの『Mötley Crüe』のトミー・リーの家で行われたホームパーティが開かれ、ケガで療養中のマイケル以外のハノイ・ロックス・メンバーと、モトリー・クルーのメンバーが集まりました。
モトリー・クルーのボーカル、ヴィンス・ニールと、ハノイ・ロックスのドラム、ラズルの二人は買出しの為、スポーツ・カーで出掛けました。
ヴィンスは泥酔状態で車はコントロールを失い、反対車線に突っ込み、対向車と正面衝突します。
対向車のドライバーは死亡し、巻き添えになった一台の車の運転手は体に麻痺が残る大怪我を負い、ヴィンスの運転するスポーツカーの助手席に座っていたラズルは死亡しました。
 
これを切欠にベースのサム・ヤッファが脱退。
バンドは新しいメンバーを加え再出発を図りますが、
フィンランドのヘルシンキから家出同然で出てきたマイケルにとって、いつも一緒にバンド生活してきたとメンバーは家族であり、いなくなった人間の代わりを何て考えられず、解散を発表します。
 
その後、マイケルとアンディはそれぞれソロ活動を始めます。
マイケルは様々なミュージシャンと組み、音楽活動を進めていきますが、
2001年に最愛の妻ジュード・ワイルダーを亡くします。彼女の死因についてはどんだけ調べても出てこないので分かりません。
そして、彼自身はバセドウ病という病気を患います。
 
おそらく、二人のソロ活動を見てきた人は誰もが思ったでしょう、
マイケルにはアンディのようなカリスマが必要だし、アンディにはマイケルのようなスターが必要だと。
その翌年、ハノイ・ロックスは再結成し、『Street Poetry』という最高傑作を出し、再び解散します。
 

 
何と言うかマイケル・モンローは本当に不幸というか可愛そうな人間な気がします。
いつも何かを掴めそうになった瞬間に、それが適わなくなるような・・・悲しい運命なのかもしれません。
しかし、彼はめちゃくちゃポジティブで、あまり悲観的になってない気がします。
また彼は、彼から最愛のものを奪った酒とドラッグを、一切摂取しません。
それと健康の為か、車を使わず、常に自転車で生活しています。

マイケル・モンローのそういうロックスターでありながら、
ロックスターらしからぬところが好きです。

かなり長くなってしまいましたが、とにかく、おめでとうマイケル・モンロー!

八年ぶり、六度目となるローリングストーンズ来日

月曜日, 3月 3rd, 2014 | Permalink


イギリスのロックバンド『Rolling Stones』が来日しました。
八年ぶりの六度目となる来日で、今回は東京のみのツアーです。

八年前、僕は高校二年でした。その時はさほどストーンズというものに興味がなく、
とくに何も思うことはありませんでした。
しかし、今や僕は好きなロックバンドを5つ挙げろと言われたら、
その中にローリングストーンズが入るくらいに好きになりました。

しかし、今のストーンズ見たいかと言われれば「見たい!」と即答出来るか、
自分に尋ねたら即答できませんでした。

裏のリズムを意識しすぎて、それが一周して別の次元に行ってしまったようなキースのギターに、踊りは現役バリバリだが終始歌えていないミックの歌(若い頃も歌えてなかったが)・・・
どんなグダグダな演奏を見せてくれるのか楽しみでした(これは皮肉ではなく、それがストーンズらしさというか独特な魅力なのです)が、
チケット取れなかったし、お金もあるわけではないので断念。

しかし、70年代の中期ローリング・ストーンズを支えたギタリスト、
ミック・テイラーも一緒に来るということを聞くとちょっと悔しかった気がしました。

今回、2/26のセットリストはこちら。

Get Off My Cloud
It’s Only Rock’n’Roll
Tumbling Dice
Wild Horses
Emotional Rescue
Doom And Gloom
Bitch
Honky Tonk Woman
Slipping Away (※ミック・テイラー参加)
Before They Make Me Run
Midnight Rambler (※)
Miss You
Paint It Black
Gimme Shelter
Start Me Up
Brown Sugar
Jumpin’ Jack Flash
Sympathy For The Devil

(以下アンコール)
You Can’t Always Get What You Want
Satisfaction (※)

すごく良いセットリストだと思います。
欲を言えば初期の曲ももうちょっとあっても良かったとは思いますが、
こう見ると中期の曲が多い気がします。何となくスティッキー・フィンガー率が高い。
後期入りたてのブラック・ミュージックっぽいのもあったら最高ですね。
ミック・テイラーが参加したのはたった三曲のみだったようです。
来月、3/4と3/6にも来ます。

しかしこの次は果たしてあるのでしょうか?
もう年も年なので分かりません・・・


これは2003年のパリでのライブ映像です。
今回はここから10年後のライブです。
一体どういうモノになったのか、またどういうモノになるのか、気になるところです。

最近の投稿

出張買取エリア