Archive for 2月, 2014

AKIRA

月曜日, 2月 24th, 2014 | Permalink


エーブックスタッフの水野です。

先日、SF漫画の金字塔といわれている大友克洋の『AKIRA』を今更ですが読みました。

AKIRAは人気で、好きな漫画第一位にAKIRAを選ぶ人も多いので、
自分の中で所謂「王道」的なイメージで、天邪鬼な自分はあえて読んでいませんでした。

しかし、YouTubeでふとアニメ版AKIRAの動画を見て、とにかくその迫力に圧倒されたのです。
早速リサイクルショップで漫画を購入してきて、読みました。

 
まずボリュームがすごいです。
単行本全六巻と聞くと短く感じますが、一冊につきページ数が大体、
少ない巻で300ページ程度、多い巻で430ページ程度です。
普通の少年(及び少女)漫画の単行本ですと大体一冊につき180から多くて230ページ、
青年漫画の単行本ですと大体240ページくらいが相場です。
AKIRAは全六巻で2181ページですので、大体少年漫画の10巻から12巻ほどで、青年漫画だと10巻ほどで、およそ倍の巻数になります。
サイズも大学ノートと同じ大きさのB5サイズで、
雑誌と同じサイズで、その上雑誌より印刷がキレイですから迫力満点です。

僕は昔漫画家を目指していて、自分で漫画を描いていましたから、
単純な読み手ではなく、無意識に描き手側の目線で読んでしまいます。
そういった時に一番気になるのが画力です。
まず絵が見にくかったり、タッチに頼りすぎて雑だったり、
手を抜いていたりするのが分かったりするとその時点で、
その漫画への興味がなくなってしまうことが多いです。
また映画が好きだからか、話の構成だったり、コマ割りや演出が下手でテンポが悪く、
例えばショッキングな展開なのだが、あまりショッキングになっていなかったり、
やりたいことは分かるけど、イマイチそれを描ききれていなかったりするのもそうです。

ちょっと、何様目線だ・・・という感じですが、そういう観点から見ても、
このAKIRAは今まで読んできた漫画の中でもトップを行く漫画だと思いました。

圧倒的な画力に思わず息を呑みます。これは一目見れば分かることでしょう。
そして、コマ割りというかカット割りがすごいです。

手塚治虫は、従来のアメリカの風刺漫画や、四コマ漫画の影響下にあった漫画とは明らかに違う、日本の漫画というものを作り上げました。
その特徴の一つとして、静止画なのにその動きが伝わってくるという絵です。
キャラクターの動きを描くのです。
それが定着し、その描き方が漫画の描き方になっています。
しかし、大友克洋はそうではなく、動きの中の瞬間を切り取って絵に描くのです。
そのことにより、キャラクターの動きやスピード感とは別に、
躍動感だったり、空気感を描くことが出来るのです。
手塚治虫は生前、今の漫画の描き方は僕が考えた一つの手法でしかないから、早く新しい別の手法の漫画を読んでみたい・・・ということを言っていました。
僕はそれが大友克洋の漫画だと思いました。

さて、話をAKIRAに戻しまして、次に世界観も素晴らしいです。
まずこの漫画は1982年から1990年にかけて描かれた作品なのですが、
今読んでも古さを感じさせません。
たいてい、昔のSF作品などはファンタジー要素が強かったり、
またその当時に空想ですら考えられなかったような未来が、
今この現実にあったりするので、良くも悪くも時代を感じさせられます。
しかし、AKIRAは「本当にこうなってしまうのではないか?」というリアリティがあるのです。
物語の舞台は2019年で、東京オリンピックを翌年に控えたネオ東京なのですが、
この現実でも、偶然にも2020年のオリンピックの開催地は東京に決定しました。
物語の後半にはアメリカ軍も登場するのですが、実際にこうなったらこうなるんだろうな・・・と思ってしまいました。

キャラクターもみんなそれぞれ個性があって面白いです。

主人公である『金田』は15歳の(自称・健康優良)不良。
バイクチーム(暴走族)のリーダー。
運動神経抜群で、ヤンチャだが優しくて頭も良く、度胸がある、
まさにリーダーという男らしい男。しかし、どこか三枚目的なところもある。
金田のバイクは彼仕様に改造されており、彼以外はとてもじゃないが操作できない。
そのバイクチームの一員である『鉄雄』は、
幼少期はいじめられており、それを金田に助けられたことから友達になる。
今でもチームでは大人しい性格で、バイクの運転もあまり上手くなく、
チームの足を引っ張っていて、いつも金田に助けてもらっている。
『山形』は大柄でチームの特攻隊長。
ヤンチャだが、仲間に対しては義理堅く、また正義感が強いたくましい性格。
『甲斐』も金田のチーム内での一番のチビ。
チーム内ではまともな方の性格。チームの崩壊後も金田をサポートし続ける。
他にも反政府ゲリラであり物語のヒロインでもある『ケイ』、その仲間の『竜』と『チヨコ』。
ライバルバイクチーム「クラウン」のリーダーである『ジョーカー』。
軍の最高指揮官であり、AKIRAの秘密を知る『敷島大佐』。
などなど魅力的なキャラクターが多いです。

勿論ストーリーも最高です。
最高なのですが、この漫画を読んだことない人は是非読んでもらいたいので、
ストーリーに関しては一切触れないでおこうと思います。

AKIRAには1989年にアニメ映画も製作されました。
ストーリーは漫画版を縮小させた感じですが、
ありがちな漫画の方が断然素晴らしい、ということではなく、
アニメにはアニメの良さがあります。
作者自ら監督をしているので、再現度は当然高いですが、
動きもすごく滑らかで今のアニメと比べても(画質の違いはありますが)ほとんど見劣りしません。

音楽は、芸能山城組という世界の民族音楽を題材にするアーティストグループによるもので、アバンギャルドでかっこいいです。
やはり未来を意識しているのか、それとも趣味なのかは分かりませんが、
こういうところにポップスやロックや歌謡曲の主題歌を作ったりすると後々時代を感じさせてしまうのですが、そういうことをしないのが最高にクールです。

声優もキャラクターにあっており、また演技力も高く、それにストーリー展開も合わさり興奮を隠せません。
名台詞の多いこのAKIRAですが、僕が一番鳥肌が立ったのは、
序盤バイクチェイスの場面でトンネルの中で金田が叫ぶ「鉄雄ォォォォォォッ!」です。
この叫びにはいろいろな感情が入り混じっているような気がするからです。
とにかくこのバイクチェイスのシーンにはいきなり持っていかれます。
バックの音楽から聞こえる「金田、鉄雄、甲斐、山形」のコーラスが興奮を煽ります。

とにかくもっと体験していれば良かったと思わずにはいられない作品です。

日本と海外での、人気があるゲームの違い。

月曜日, 2月 17th, 2014 | Permalink


エーブックスタッフの水野です。
 
1995年にスーパーファミコンで発売されたロールプレイングゲーム
『クロノ・トリガー』の曲を、メタル・アレンジでカヴァーした、
メドレー曲がYouTubeで話題になっているそうです。

PVも作られており、よくあるようなファンメイド動画とは違い、
映像もクリアで凝っており、クオリティが高いです。
製作したのは、アメリカのユタ州を拠点に活動するWarialaskyというミュージシャンのようで、他にも『スーパーマリオ』や『ゼルダの伝説』のメタル・アレンジ・メドレーなども公開されております。
また、スター・ウォーズのパロディである『フォン・ウォーズ(Apple VS Android)』や、
『ポケモン風グランドセフトオート』『ゾンビとスポンジ・ボブ笑い』などの、
ビデオ・ゲームや映画のパロディを中心とした、
ハイクオリティだがB級感満載YouTubeコンテンツをクリエイトしているようです。
 

 
こちらは上記のスーパーマリオのメタル・アレンジ。
音楽は勿論のこと、映像もかなり凝っているのが分かります。
無駄にアクションがすごいのです。
こういうバカらしい(良い意味で)ことをこれだけ作り込めるのは、
何だかアメリカだな~ってと思ってしまいます。
「面白いものを作ろう!」っていう姿勢がひしひしと伝わってきます。
 
他のアメリカのYouTubeコンテンツクリエイターの動画を見ていて思ったのが、
海外では、任天堂のゲームが人気だということ。
任天堂のゲームは今も昔も変わらず、触っていて楽しいと感じるゲームが多い気がします。
『スーパー・マリオ』シリーズの反射神経をいかしたアクションや、
『ゼルダの伝説』シリーズの謎を解いて探索するアドベンチャー、
『ポケット・モンスター』シリーズのモンスターを集めて育成するコレクション要素、
『MOTHER』シリーズの心の中を旅するような冒険心・・・
などなど、”あくまでゲーム”といったようなゲームという媒体でしかなり得ないゲームを展開しているイメージです。
 
日本ではどちらかというと、キャラクターを推したような作品が人気のように感じます。
ハイクオリティなムービーだったり、壮大な世界観のシナリオだったり、映画的な演出とタッチだったり・・・そういう技術も全てキャラクターを描く手段のように感じられます。
そういう手法は結果的に、単なるゲーム(遊び)ではなく、ゲームという媒体で展開できる新しい別の世界を作ろうとしているのだと思います。
それが国民性なのかは分からないですが、
日本は、漫画・アニメなどが娯楽だけではなく一つの文化となるほどの影響力を持つことから、そういう方向に進むのは、自然なことだとは思います。
一概に国民性というと、こじ付けのように感じますし、
その時に流行っていたものだったり、逆にそこになかった文化だったり、いろいろな時代背景が大いにあると思います。
 
アメリカでは”遊ぶ”ことを目的としたゲーム、
日本では”読む”ことを目的としたゲームが、人気なのかと思います。
 
一方、ヨーロッパのフランスで人気のゲームは『FINAL FANTASY』シリーズをはじめとするRPGのようです。
「アメリカはスーパー・マリオ」、「フランスはファイナル・ファンタジー」というと、何だかイメージがしっくり来すぎるような気がしますが、その理由はフランスでは元々RPGというジャンルのゲームが無く、日本から輸出された『FINAL FANTASY VII』(1997)によって人気に火がついたといわれています。
フランスではゲームの他にも、日本の漫画やアニメも人気のようです。
また、日本製サブカルチャーファンの欧米人の中には、日本の歴史に興味を持っている人も多いそうです。
日本から見て、中世の西洋の風景がファンタジーに感じられるように、
欧米の人には、侍や忍者や芸者などが登場する日本の歴史がファンタジーに感じられるのでしょう。

今回は主にゲームのことでしたが、
こういう日本製の作品の、海外からの評価って何だか面白いなと思いました。
 

理由無き感動、Salyuの『アイニユケル』。

月曜日, 2月 10th, 2014 | Permalink


スタッフの水野です。
 
年を重ねるに連れ涙もろくなると言いますが、ここ最近は、映画を見て感動して・・・とかではなく、もっと何気ない日常のふとした瞬間で涙が出そうになります。
感動の沸点が下がったのは勿論なのですが、なんというかその情報を受けてから涙が込み上げるスピードも速くなった気がします。
ここ最近で、ふっと涙が込み上げた瞬間は、ラジオから流れてきたある曲を聞いた瞬間でした。
Salyuというアーティストの『アイニユケル』という曲なのですが、
僕は今まで彼女の曲を聞いたことがありませんでした。
名前を聞いたことがあるくらいで、彼女がどういうアーティストなのか知りませんでした。
調べてみると、彼女の歌声はいろいろなアーティストから絶賛されていて、
「天に向かい、地に響く声」「強く心の中に残る歌声」「唯一無二」「圧倒的」「例えるなら日本のビョーク」・・・などなど。
また、まるで絵画のようなその世界観も高く評価されており、玄人から絶大な支持を得て、みんな口をそろえてもっと評価されていいアーティストだと言われているそうです。
 

 
それで、今回たまたま耳にした『アイニユケル』という曲なのですが、
透明感がありどこか幻想的なその曲のイメージから、まず「ジブリみたいな曲だな」と思いました。
そして、サビになるとそのイメージは一変します。
いや、違う・・・なんだろう、これは・・・中島みゆきか・・・?
いや、違う・・・これは・・・クイーンじゃないか?
この夕日に向かって拳を天高く突き上げたくなる感じ。
ここまで到達したことが、僕らの完全なる勝利。
黄昏の中をスローモーションで走り抜けるような画。そして、鳩が飛んでゆくような。
一瞬、クイーンの『Save Me』や『We are the champions』を髣髴とさせました。


同じメロディのまま転調してゆく感じが、エモーショナルな感情を煽りに煽り、
何だか知らないが、涙が込み上げてくる。
それは、僕がクイーンが大好きで、
それと似た雰囲気があるからとかそういうものではないのです。
もっと根本的な、琴線というのか、そういう無意識なところに触れたのだと思います。
 
「勝利」だとか「達成」だとか「悲願」だとか「運命」みたいな、
いかにも泣けるキーワードが二文字が頭に浮かんでくるのです。
こういった、思考に訴えかけるんじゃなくて、
直接的に感情に訴えかけてくるモノを本物の感動というのでしょうか。
それに理由はなく、”それ自体”が理由なのです。
また、その感情に到達できたことに、何故だか更にもらい泣き。
 
 
このSalyuの『アイニユケル』は2014/2/26に、
彼女の17枚目のシングルとして発売される予定です。
 
自分の中での、2014年、上半期ベストソングランキング早くも一位の候補が来た気がします。
なんというか、一位にすべき説得力があるのです。
 
 
こういった理由が無く、直接感情に訴えかけてくるということは、
大人になるにつれて、少なくなっていったような気がします。
何もかもに理由があり、無ければこじ付けでもいいから理由を作る。
理解できないものへの恐怖感だったり不快感なのかは分かりませんが、
自分の中で、自分の知る範囲内の言葉で、すべてカテゴライズしている自分がいたりします。
そうすることにより、個々の良さに気付かなかったり、
それを見つけたはずなのに、いつの間にか見失っていたりするのでしょう。
そう考えたときに、もっと素直に生きることへ憧れたりします。
 
 
話が大きくなってしまいましたが、この曲にはそれほど感動させられました。
この曲に出会えたことにガッツポーズしたい気分です。
 

奇跡のハスキーボイス『GLIM SPANKY』

月曜日, 2月 3rd, 2014 | Permalink


エーブックスタッフの水野です。

先日ラジオからたまたま流れてきた曲にちょっと感動してしまいました。
彼らはゲストとして出演しており、聞いているとどうやらこういったメディアには初出演。
まだまだ若いようで年齢は22そこら。
僕もバンドをやる身として、こんな若造(自分とそんなに変わらないが)に感動させられるなんて少し悔しい気もしたが、これには参ってしまった。

後から調べるとそのバンドは『GLIM SPANKY』という名前。
2010年代の日本のロックシーンは、今までは40代、50代のモノであったロックンロールという音楽が、再び10代、20代といった若い世代のモノに戻りつつあるんだと思います。
おそらくそのビッグバンを起こしたのが(もう解散しましたが)『毛皮のマリーズ』というバンドの誕生、あるいは『ゆらゆら帝国』というバンドの解散だと思います。
80年代以降、既存のものをいかに破壊していくかがキーになっていたロックという音楽ですが、日本でも90年代ごろからその風潮は高まっていきました。
毛皮のマリーズのやった音楽はただ単に70年代の海外ロックでしかないのです。それは勿論良い意味で。
ゆらゆら帝国は海外のロックに日本語の独特な口語体の歌詞を乗せたのが特徴で、よりオリジナリティのあるものでした。
日本では元々ロックという音楽自体が過去に輝いていたという時代はないので、聴衆にとっては、彼らのやったことは余計に新しく刺激的に感じられたのかもしれません。
また、同じく昔のロックを愛聴していた少年たちは、彼らに続けと言わんばかりにデビューしていき、一つのシーンのようなもの出来ていきました。

そのブームもマリーズの解散後は弱冠勢いを失いかけていますが、そんな中で現在、スポットを浴びだしたのが『GLIM SPANKY』。

昔の所謂”王道ロック”をテーマに活動するバンドの多くが「60~70年代ロックの現代的解釈」であったのに対し、彼らは「いかに昔のロックに近づけるか」という姿勢を感じます。
王道のロックンロールの中で、取り上げられるイメージはやはり、ビートルズのようなポップスだったり、ラモーンズのようなスリーコードの少しパンク寄りな曲が多いです。
いくら王道ロックをうたっていても、結局ロックの中でもポップな側面をやっているバンドは多いと思います。

そんな中で、彼らはそのロックの中でも、何と言うか汚い例えですが、便所の落書きだったり、ドブに吐き出されたツバのような音楽をやっています。
泥臭く、黒い雰囲気を持っており、ロックの中でもブルースを感じるのです。

僕は昔のロックが好きで、特にローリングストーンズというバンドが好きです。
ストーンズは、汚らしくて、いかがわしくて、悪魔的で、不健全なイメージを持っており、そういうアウトロー的なイメージがあります。
ロックに希望を見出そうなんて考えはやめた方がよくて、ロックとは悪魔の音楽だと教えてくれる感じが最高にカッコいいのです。

GLIM SPANKYを聴いたとき、彼らはロックだとか音楽に希望を持ってなんかなくて、これはただの反抗なんだと感じました。
僕の勝手なイメージですが、そういったやさぐれたモノを感じたのです。

まず、曲からして間違っている。ブルースじゃないか。そんな音楽で人気が出るはずがない。
しかし僕はこういうのが聴きたかったんです。ロックにアイドル的な要素を求めるのはもう間違っている、こういう泥臭くて暗くて渋くて尖ったものを聴きたかったんです。
ラジオでのインタビューで、「何故60年代だとか70年代のロックをやろうと思ったのか?」という質問に「ただやりたいと思った音楽が、60年代だとか70年代のロックだっただけで、それを意識してやっているわけではない」と言っていて、ただ好きだからやっているのだという姿勢がかっこよく思えました。

音楽的なことですと、まず、印象に残るものはボーカル松尾レミの日本人離れした声。
少しジャニス・ジョプリンを彷彿とさせるようなハスキーボイス。
ブルースを歌う為に生まれたような声です。しかも上手い。
僕が女でこの声だったら、僕だってブルースをやるでしょう。

この手の音楽は、年を重ねれば重ねるほど良さが出てくると思います。
続けるに連れ、丸くなってしまうのは仕方ないことかもしれないですが、この姿勢は貫いて欲しいですね。
一体どんな目線で書いているのか分からないですが、とにかく応援してます、GLIM SPANKY。

2度目のご依頼ありがとうございました。

土曜日, 2月 1st, 2014 | Permalink


大学の先生に2度目のご依頼を受けお伺いさせて頂きました。

大学の方に伺うと前回同様、

本を運び出しやすく出して頂いてあったので、

スムーズに買取させていただきました。

3度目もあるとの事でしたので、ご連絡お待ちしております。

この度は、ありがとうございました

最近の投稿

出張買取エリア