芥川龍之介の『歯車』


エーブックスタッフの水野です。
音楽や映画のネタが多いので、たまには本のことも書こうと思います。

僕は最近でこそ本はあまり読まなくなりましたが、
高校の頃、国語の先生に僕の書く文章をべた褒めされ、
本を読むことをオススメされたのがきっかけです。

不純な考えですが、とりあえずブックオフでとにかく、これ高校生が読んでいたらやべえなと思われるような本を買いました。
寺山修二や太宰治、町田康などの、今でこそサブカルチャー系文学と括られているようなものです。
その時に読んだものの中で、一番印象に残っているというか、
本能的に一番ヤバいと思った作家が芥川龍之介です。

まず、どうして彼の作品を読もうと思ったかというと、名前と顔がカッコいいからです。
顔は、今改めて見るとカッコいいのかどうかは分かりませんが、もし彼を俳優が演じるのなら伊藤英明が激ヤセすれば、けっこう似そうです。

特に芥川龍之介の『歯車』という晩年に書かれた、中編作品が非常に恐ろしかった印象があります。
僕はその当時からロックが好きで、そのロックを文化として捉えたときに必ず出てくるキーワードとして、ドラッグというものがあります。
そのドラッグ体験を聴覚的に再現したものをサイケデリックロックと呼ぶのですが、
ロック脳だった僕はこの『歯車』という作品はサイケデリック文学だと思っていました。
その後、僕は音楽の方に傾倒していき、次第に小説から離れていきました。

昨年、僕は厄年で、何か不吉な予感が付きまとわれるような年でした。
厄年で、と前置いたのは責任転嫁かもしれませんが、
とにかくあらゆることが上手く行かなかった気がします。
そんな2013年も過ぎ去り、2014年を迎え、
そういうことから脱却したい気持ちを実行に移そうと思い、変化の年にしたいと決めました。
しかし、2014年を迎えた現在も、何かに付きまとわれている気がします。
それは何か暗号めいたものがあり、たびたび僕の前だったり、夢の中で現れます。
一番気になるものを一つ挙げるとするならば、緑区の鳴海駅の向こう側(大高方面)にあるされる謎の立入禁止区域。
そこは別に表立って立入禁止が掲げられているわけではないのですが、何のためか人々の間で暗黙の了解のように立ち入ることを禁じられた場所があるということ。
実際はそんな場所はないのでしょうが、何度も夢の中でその場所を前にします。
そのことを何気なくフェイスブックに書き込むと、今は離れて暮らす父親から「その場所はきっと俺の家じゃないだろうか」との返信が来ました。
勿論、僕は父親がどこに住んでいるのか分からず(それもどうかと思いますが)に、その夢を見ていました。

他にもいろいろあるのですが、あまり書くことが出来ないような内容もあるので省略しますが、そういう暗号的な何かが度重なることで、ふと芥川龍之介の『歯車』を思い出したのです。

本棚の奥から埃のかぶった文庫本を取り出して、数年ぶりに読んでみました。

すると、僕が感じたサイケデリック小説なんてそんなサブカルチャー的なものではない、もっと怖ろしい何かを感じました。
まず話全体に漂う、暗く絶望的且つ狂気的な雰囲気が最高に怖い。
この話を読んでいると、彼はうつ病でおそらく現代でいうパニック障害を持っているのだと思います。
この物語は、何てことのない日常の断片でしかないと思います。
ただその日常から引き起こされる彼の中だけの世界が素晴らしいほどに怖ろしいのです。

この作品には連載当初『夜』という仮タイトルが付けられており、その暗く陰鬱とした雰囲気をシンプルに表しています。
この作品の『歯車』とは何を意味しているのか?
ということを疑問に思ったり、議論したりするのは、面白いことでしょうが、
僕自身としては、これは特に深い意味込めてはいないのだと思いました。
僕は、彼の幻覚として現れる歯車を、この世から自分の魂の居場所を無くす不吉なものの象徴としているのだと思います。
また、歯車で思い起こされるのは時計です。
何か不安に襲われるたびに回りだすその歯車は、死が刻々と近付くのを表しているようにも思えます。
が、僕はもっとシンプルに象徴としての『歯車』の方がどこか謎めいていて、不気味に感じる気がします。

アメリカの映画で『マシニスト』という映画があります。
この映画は不眠症の為、極度に痩せてゆき、やがて精神的に不安定になるというものなのです。
現実から次第に妄想の世界に入り込んでゆく感じがとても巧く撮れており、それも絶望的な感じが何か悪い夢を見ているかのような感覚を髣髴とさせ、素晴らしいです。

その日常と精神世界が一体化しているような描き方が共通しており、その映画を思い出しました。

やはり、映画ですので起承転結があり、最後はどんでん返し的な結末を迎え、ある種救われるところがあるのですが、この『歯車』の方は明確なそれがなく、ただ最後まで陰鬱とした嫌な予感、それこそ彼が最期に残した言葉「ぼんやりとした不安」で終わる感じがより一層怖いです。
また、この小説の最後に綴られる、

「僕はもうこの先を書きつづける力を持っていない。こう云う気もちの中に生きているのは何とも言われない苦痛である」

という文が非常に絶望的であり、この小説『歯車』を終わらすのには最も最適な表現であり、彼自身の人生を終わらせたのに最も説得力のある文章だと思いました。

何だか新年明けて間もないのに暗い記事ですみません・・・
もっと明るい記事を書こうと思います。

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