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エーブックスタッフの水野です。
いつもは僕が好きなもののことについて書いているのですが、今回はちょっと趣向を変えて名古屋市の緑区について書こうと思います。
僕は生まれも育ちも名古屋市緑区なのですが、どこかから帰ってくる度に、栄えてもないが寂れているわけでもない、所謂「可もなく不可もない」という印象を受け、その感じが何とも落ち着くのです。
名古屋市内の中でも田舎の方かも知れないですが、何か欲しいとかなった時に街の方へわざわざ行かなくても大抵手に入るし、色んな食べ物屋も多いです。
近頃は、地下鉄桜通線の延伸により、緑区も地下鉄の通っている街になりましたし、302の開通により車でのアクセスもしやすくなりました。
 
あと緑区はデカイです。自転車で回ろうと思うと骨が折れます。
また北部と南部とでは開発状況が大きく違っており、昭和40年代以降、土地区画整理計画が進み、人口が急増したことが、名古屋市の中でも人口が最も多い区となった要因です。
 
 
さて、それでは緑区の有名なものについて少し書きます。
 
まず有名な有松・鳴海絞り
始まりは、江戸時代。東海道の治安の悪化により、人の住める新しい集落を作るために有松が出来た。
しかしその地域が丘陵地であった為、稲作が出来ず、まず農村として×
その上、東海道の宿場である鳴海宿とも近かった為に、宿場としても×
そこで、有松の住人の竹田庄九朗が、名古屋城の築城の為九州から来ていた人々が着用していた絞り染めの衣装を見て、当時生産が始められていた三河木綿に絞り染めを施した手ぬぐいを、街道を行きかう人々に土産として売るようになったと言われているそうです。
まさにピンチはチャンスといった感じの発祥エピソード。
僕も確か小学校の頃、学校から絞りの体験をしに行ったのですが、あの作業場の独特の匂いと熱気は今でも思い出せます。
 
 
次に、鳴海球場
1939年にプロ野球の記念すべき最初の試合がここ鳴海球場で行われています。東京巨人軍vs名古屋金鯱軍!しかも金鯱軍の勝利。
しかし、戦争が始まると、旧日本軍に撤収され、スタンドが弾薬庫として使われていたらしいです。
現在は名鉄自動車学校になっており、僕もここで自動車免許(AT限定)を取得しました。プロ野球初試合が行われて、その後弾薬が仕舞われていたところで自動車免許を取得したなんて何だか感慨深いです。それにしても弾薬庫に幅寄せしていたなんて驚きです。
 
 
そして、一番有名なのがおそらく桶狭間の戦いでしょう。
実は僕、緑区に住んでいながら桶狭間の合戦場には行ったことありません。
二千人vs 二万五千人
戦いの前に、熱田神宮で戦勝祈願のお祈りをして、鳴海城の砦に軍勢を整えた鳴海から見て東海道の東南に当たる桶狭間の方面に敵軍の存在を察知し、東南への進軍を開始した・・・
この戦いでは、よく信長の奇襲により勝利したといわれていますが、どうやら二つの説があるらしいです。

一つは、信長が事前に義元の情報をキャッチしており、休憩中の敵の背後を突いて、豪雨の中、奇襲した『迂回攻撃説』。
 
もう一つが『正面攻撃説』。
戦いの最中は豪雨だったといわれており、とにかく視界が悪いという状態で信長が兵を進めていると、大高城から出てきた敵の先鋒部隊を発見。
とりあえずこれを一気に打ち破って劣勢を覆そうとしたのだが、実はこれが沓掛城から出てきたばかりの敵本隊、つまり今川義元だったというのです。
 
確か教科書では『迂回攻撃説』で習った気がしますが、
偶然の『正面攻撃説』は、自らを第六天魔王と名乗る織田信長らしく、何か知能だけではない、カリスマと言われた彼が持つ他にはないパワーを感じて面白いと思いました。
 
 
ずっと住んでいる緑区ですが、調べて見ると色々歴史があって面白いなーって思いました。鳴海城とか大高城とかがあったなんて始めて知りました。
 
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